2014
07.17

カボチャなんです。
が、カボチャでもドUPすると淫らなものに目に移り、淫らなものも遠眼で眺めれば、しらけて見えるものでありましょう。

そして、カボチャであっても、隣にキュウリなどを添えると、淫らを意味するものとして、本能に訴えかけますです。

コカ・コーラの瓶が女体をイメージしたと聞いたとたんに、中学生だった私メは、そのクビレ部分をムンズど掴んで指の股に感じられる濁った透明感を楽しんでのでした。

愛に反対語があるならば、それは「無関心」かもしれませぬ。

肉体には関心があっても、その精神面に無関心であることは、愛していないという証左となるもので、が、それを双方とも認めがらないことから愛欲のもつれが始まるのであり、他人の眼からはよく分かっても、当事者の眼には曇って見えないのでありますです。

そこで心理カウンセラーや易者の出番となるのでございましょう。

ところが、心理カウンセラーも易者も、その曇った部分の答えを出せなかったからこそ、そういう方面を学んだわけでありますから、彼らを頼ったところで明確な答えを貰えることも不可能なのでございます。

とくにネットなどに答えを求めたとしても、ネットはいわば商売の入り口。良いことしか書かれていないのは当然なのでございます。

カボチャとキュウリをどう見るか。

悩んだら、そこで引き返すのが正解なのであります。

しかししかし、悩むことが趣味というお方が多いのも事実なのであります。単純に答えは出ているにも関わらず、深く追求しすぎて涙を流し、その涙顔を鏡に映して、どこかご満悦。

淫らさを楽しみたいなら、ドUPで。
恋を楽しみたいなら十歩引いて。
これが秘訣でありましょう。

愛欲の答えは、誰にも分かりませぬ。
ただ、その遠近法での直感によるしかないのでありますです。

「オノさんの気持ちは大嫌い」
嬉しいことを語ってくれるお女性は多ございますです。