2014
09.02

まるで悪しき事かの如く、かようなニュースがございました。
『「ギャンブル依存症」の疑い』だどだど。

「依存症」と聞くと、私メのハートはどこか苛立つのであります。

いぜん40代の淫乱お女性から「オノさんはセックス依存症だ」と、そのURLまでくっつけられたメールが届いたことがございますです。
読みますと、健康な男は誰でもセックス依存症にひっかかるというお粗末な情報でございました。
「わかったふりなどしやがって!」と即座に抹消いたしましたです。
が、そのネタはanan血液型特集でしっかり使わせてもらいました。

で、依存症とは何を以て依存症となるのか知りとうございますです。

ギャンブルは人生の失敗を学ぶ、じつに有意義なものなのであります。
ボロ負けして、一日分の働きで得たバイト料を15分もかからずに巻き上げられたり、帰りの電車賃も奪われてしまったり、そういう小さな経験は、人生での大きな失敗を防ぐ役割をいたしますです。
そして、それは、それこそ依存症にならなければ得られないモノなのであります。

では恋愛依存症は許されるのか。
これはじつに迷惑なことであります。遊びだと割り切っていたはずの濁情なのに、いつしか愛とかいう気持ちの悪いものに犯されて「愛されてない~」と大騒ぎされる始末。

そして平和依存症ならもう表彰されるのでありましょうか。

依存などという分かったような言葉ではなく、キチガイとすればイイのでありましょう。

ギャンブルキチガイ。恋愛キチガイ、セックスキチガイ、平和キチガイ、仕事キチガイ、万引きキチガイ、煙草キチガイ、麻薬キチガイ。そして占いキチガイ。

ひとつの事に没頭しなくて、何が面白いのでありましょう。滅茶苦茶になれるから楽しいのであります。
他人の迷惑になるから素晴らしいのでございますです。

この世に、タメになることなどなく、あったとすれば、それは実にチンケなものに過ぎませぬ。
おとなしくしていると西城ビデキになってしまいますぞ。