2014
09.27
09.27
「愛おしい」と「厭わしい」は、ただ「お」が「わ」に変わっただけでありますが、この変化の間に濁情の本質があるのかもしれませぬ。
季節は天秤座。
「愛おしい」のか「厭わしい」のかを天秤で計ってみるのも趣がございますです。
愛おしいと信じていただけで、実際は厭わしいだけだったり、厭わしいと否定的に接していたところ、あるキッカケで愛おしいと心の奥で感じているという場合もございますです。
たいていは天秤で計るまでもなく、判断を下してしまうものかもしれませぬ。目の前にある濁情ならばなおさらでございましょう。
濁情の本質を言葉遊びにする場合もございます。
が、言葉はあくまでも伝達という道具だと考えた方がよいケースもございます。
とくに、濁情の気持ちを言葉にすると、相手にはただ小うるさく受け止められますです。
終わってしまった濁情をしみじみと思い出す時にだけ言葉はその力を発揮するのではあるまいかなどと思うのですが、それもハッキリとはいたしませぬ。
濁情を楽しい無駄な時間と感じられるまでは「愛おしい」と思えるようであり、濁情の無駄を損害だと受け止めるお方に対して「厭わしい」と感じてしまうのかもしれませぬ。