2014
10.20

嫌われるとホッとする習性がついておりますです。

笑顔で談笑している時、ふととでございますが、
「こやつにも、いつかは嫌われるのであろう」
などというネガティブな思いが胸をよぎるのであります。
それは、真夏の日盛りに、一瞬過ぎる冷風に秋の予感を覚えるといったようなものでありましょう。

しかし、嫌われてしまえば、あとは、もう無理をしなくてもイイのだと気持ちが楽になりますですよね。
相手は、私メに対する最初の好意的な先入観によって押してきますから、その先入観に私メも合わせなければならず、これがくたびれるのでございます。

メールの返しもおざなりであり、10分遅刻すれば帰るという人でなしの私メでさえ、このような人付き合いの苦痛を覚えるのですから、他のお方たちの対人関係の苦痛はいかばかりでありましょうや。

「ああ、やっと嫌ってくれた」
「もう飲み会に行かなくてもイイのだ」

と嫌われることは案外、幸せなことなのであります。

嫌われることによる傷つけられたプライドや、形容しがたい寂しさという心の処理さえ分かってしまえば、これほどの爽快感はございませぬ。

これも運命学を会得したたまものだと自分では満足しておるのであります。

世間では、イジメなどと社会問題として扱っておりますが、人との付き合いも寿命がございますから、仕方のない定めなのでございます。

電車などで初対面から喧嘩する人々がおりますが、これはちと性質の違う嫌われ方かも知れませんです。
でも、まぁ、それも一緒かな。

親しくなったお女性から「タメ語を使って」と求められますですが、私メは一応の敬語を貫くのであります。「名前を呼び捨てにして」と求められても、やはり自分の呼び方を守るのであります。

犬とは仲良くできますが、それは犬は犬だからであります。
人とは一定の距離感を保たないとヘトヘトに疲れるのでございます。

老母から
「いつまでもズーズー弁が直らねのは、友達がいねがらっか?」
と心配されますですが、「いい年をして友達など気持ち悪くて」と答えることにしておるのであります。

今日は、なぜ、こんなことを書いているのか自分でも分かりませんです。
占いはイイぞ、と言いたかっただけなのでした。