2014
11.12

カニをいただきました。

テープを剥いで蓋をあけたら北国の風の音が聞こえました。
幻聴です。

しかし11月も更け、冬の重さが感じられると、そういう幻聴も格別であります。

錯覚や幻聴や妄想が、現実と言われるものより心地よいのであります。
会うことのない漁師たちのどら声とか、船の軋む音が聞こえ、氷の砕ける音も聞きたくて耳を澄ますのでありますが、そのような姿勢になると、もう何も語りかけてはくれませぬ。

まさか私メに食われようとは、カニは思ってもいなかったことであり、翌日には藻屑と化すことなど考えも及ばぬはずであり、北海の海で、なんだか知らぬうちに網ですくわれ、殺されてしまったというだけの一生だったのでございましょう。

それはカニに限ったことではなく、ならば未来のことを深刻に考えるだけ愚かであり、つまり妄想に溶け込むことで十分なのかもしれませぬ。

おそらく明日はカニを食ったことすら忘れ、グラスを傾け音楽などに耳を傾けているに相違ありませぬ。

昨日の現実は、今日の虚構。が、今宵の妄想が明日の妄想とは限らず、現実になる場合もありそうでございます。
グラスの中で氷が溶ける音で、ハッと我に返ると、もう老人になっている自分という妄想が、現実になるように。
「この店に来てから何年になるんだっけ?」
「…10年かな、もっと、20年はたってんじゃないの」
と言われて、20年間もグラスの氷ばかりを見ていたのかと思うこともたびたび。

「ゆうべ、カニを食ったんだよ」
「カニを?」
「美味かったよ、すごく。ミソがいっぱいでさ」
「しやわせね」
「うん、しやわせ」

ああ、「しやわせカード」のための宛名書きがあるんだった、と現実に戻されるのでございます。