2015
01.25

もうすぐ2月なんですねぇ。
やっと秋になったと思っていたら春近しですよ。

画像のヤツは、今回の凶方位旅行で避凶の効果を実験していたロケットでございます。
中に色々な材料が詰められておりまして、なかなか効き目があるようなのでございます。
もう少し実験する必要がありますが。

なぜなら、今回は私メ自身が凶方位だと認識しておりましたから。
こんどは知らないお方で試さなければなりません。

ではボイドタイムです。

2015年
1月26日(月)23h26m~27日(火)01h38m
1月28日(水)11h19m~29日(木)07h37m
1月30日(金)18h25m~31日(土)16h10m
2月01日(日)22h40m~03日(火)02h42m
2月04日(水)14h32m~05日(木)14h47m
2月07日(土)07h11m~08日(日)03h45m
2月09日(月)20h59m~10日(火)16h06m
2月12日(木)14h34m~13日(金)01h48m
2月15日(日)00h16m~     07h25m
2月17日(火)05h18m~     09h14m
2月18日(水)10h59m~19日(木)08h49m
2月20日(金)08h03m~21日(土)08h14m
2月22日(日)09h37m~23日(月)09h28m
2月24日(火)11h58m~25日(水)13h54m
2月26日(木)17h45m~27日(金)1h51m
3月01日(日)02h55m~02日(月)08h36m
3月3日(火)17h51m~04日(水)20h59m

以上でありますが、お気づきでしょうか。
ほとんど毎日がボイドタイムであります。
これは何を示唆しているのでございましょう。

邪悪な何かを感じませんでしょうか。
好きな人と逢い、好きなことに専念しなければならぬ時が来たようであります。
個々の運命を凌駕する禍々しい出来事が発生しても、後悔せぬように日々を送ることであります。

ふーむ、避凶のロケットを完成を急がねば…!

2015
01.23

浴場であります。
自宅から西へクルマで40分。
姉っこの湯という雫石町の道の駅に510円で入れる温泉がございます。

老母が膝から下が冷えるというので赴いたのでございました。

ウィークデーなので広い浴室を独り占め。
私メは、ヘソ下三寸を温めたのでございました。

秋田との県境のトンネルを抜ければ、あと20キロで田沢湖という位置関係。
スキーをしていた頃は田沢湖スキー場にも足を伸ばしたものでございましたが、もはや若々しいことから卒業し、いまは湯殿でイイ気分を満喫するばかり。

今回のモリオカは葬式が目的でありました。しかし、こうしてノンビリとくつろいだりもしております。
「さて今後の計画をば…」
と考えようとしても、頭は回りませぬ。

この温泉はドキリとするほどの美人ちゃんが受付や食堂にわんさとおりまして、そういう意味でも得難い施設でありました。雫石町は、それはそれは美人の宝庫であったことを、いまさらのように感心するばかりなのです。

小学校の校庭の裏に土盛りをし簡易的なスロープをつくり、スキーの練習をするのも風物詩でありましょうか。

「ラーメンでぎました。お水はあっちでセルフとなってます」
気づいたらスリムな美人のネェちゃんが私メの前にお盆を置くのでありました。ふぁーんと良き匂い。ラーメンの臭いではございませんですよ。
名札には笹沼と…。
いけませぬ、いけませぬ。
実家を10時に出ましたから、西の方位は濁情御法度の方位。
悲しき結末に終わる暗示が強うございますから。

凶方位でモリオカに来たところ、以後、行くところすべてが、何故か凶方位になってしまっているのでありました。
「まぁ、いいさ」
と胡椒をぞんぶんにふりかけラーメンをすするのでございます。

そして、悲しい結末にならぬ濁情など存在するだろうか、などと哲学的なことをば思考しつつ美人ちゃんの後ろ姿を見送るのでありました。

もうしばらくモリオカに滞在する予定であります。

2015
01.22

春が怖ろしいのであります。春になって花々が咲き競い、花の香りの風に吹かれれば、落ち着くのですが、冬に沈んでいる今の季節に、春を思うと、考えただけでゾッといたします。

ひとつの濁情の終わりを予感しつつ、もう恋など御免こうむりますと思う気持とどこか似ておるのであります。
新芽の如き、リズムが全身からほとばしるお女性から、あえて目を伏せて過ぎ去ったお女性たちの、帰り来ぬ歓声を思い出すのみ…。

とは言いつつも、さきの葬式で私メと同い年の60男の親戚の白髪+ハゲの絶望的なお姿を見ると、「ああ、出来るうちにだ」と焦る感情もどこかに潜んでおるのでございます。
私メにとって20代も30代も40代も、そして50代のお女性も新芽として認識してしまうのですから、これは始末に負えませぬ。

そして、教えられた技術をば後世に伝えることになるのでありましょうか。
「未開発のままだったんだね」と。

空海の真言密教の秘儀が、男女の結合の喜びを念頭におけばすらすらと読み解くことができるように、仏教のすべての道具だけでなく印を結ぶ指も、合掌すらも、すべておセックスの愉悦を語るものであるのであります。異端と蔑視される立川流の誕生のなぞも、ここに視点を置くことで見えてくるのでありますです。

以上は、付け法事での僧侶と私メの会話の内容でありますです。
なにしろ私メの席は、ひな壇の僧侶の隣でありましたゆえ、なにかにとお喋り坊主から戯論をふっかけられたのでございました。

濁情の問題点は「心」というヤツでございます。

秘儀、秘法、秘伝と聞くと、妙な官能が渦巻きはしませんでしょうか。
それら秘密に関係することの根底に、「嫉妬」があるからに他なりません。

「あんだだけだよ」
という特別待遇。
「わだすだけにだえん」
という優越意識。

これらは濁情の問題点である嫉妬と絡んでおりますです。
とくにお女性にとっては秘密の二文字は濁情の要でありますです。

嫉妬のない濁情は味気なく、しかし嫉妬をたっぷりと吸い込んだ濁情は、そこから破綻いたしますです。

煩悩とは嫉妬の別称であり、その入り口は秘密という目もくらむ恋の本質なのではないかと、老僕はしみじみと省みるのでありますです。

私メだけが鑑賞する花であることに満足しつつも、他人にもその花をみせてやりたい…。
蓮の上に立つ仏の姿はまるで女陰と男根の結合だと、その春の到来を恐れんでおるのでありますです。