2015
01.28

ニンフォなんとかいう映画のセリフらしいのであります。

愛で起きる問題が百個あるから愛はいらないという意味ならば、これはちと違うような気もいたしますです。
愛とは、そもそもそういうものでありまして、愚かしい問題の数々に濁されるから濁情の悦びとあいなるのでございます。
大人の男女の我慢比べといえば分かりやすいかもでありますね。

我慢できずにぶっちぎれて電話やメールで悲鳴じみた非難の怒号を上げたらゲームセット。
が、それでも溺れてしまうことがございます。

断易で男女の占いを見たとき、応爻の妻財、これはお女性でありますが、その妻財が日晨などの墓に入りますと、逃げ出そうにも逃げ出せない愉悦のトリコとなり、いくら世爻の男が生じても、相生の力が効かないのであります。
卦のどこかに応爻の妻財と合する官鬼がいれば、そのお女性は合する男に惹き寄せられるという愛欲の順位でございます。

好きだというだけでは、好きだという方が利用されるのが世の中の真相であります。「わたしがこんなに尽くしているのだから、あなたも愛してくれなければならない」と権利を求められるのは、この常識にそえば筋違いなのでありましょう。

ズルズルと愛欲に足をとられて何年も何年も男とのセフレ関係から脱出できないお女性を数えたら、この世に相当の数でございましょう。
そのお女性が愛欲から抜け出せるのは、権威、金銭、もしくはパワーのある男との出会いしかないのでございましょうか。
そしてまた濁情に悶絶する繰り返し。

占いのなかでも、断易はとても人間臭いというか生々しいところがありまして、じつに面白いのでありますです。