2015
04.20

四月の関東は毎年数回、嵐に見舞われますです。

今夜がその晩のようです。午後から降り出した雨は風を伴って激しく窓を叩いているのでございます。
妙な興奮と集中力が出てくるのでございます。
集めた花びらをドライフラワーとして加工しつつ、仕事をしているのでありました。

また人恋しい気持ちも渦巻いております。
けれど、いざ会話すると相手との気持ちの高ぶりの落差の違いに、話が空回りすることを恐れ、一人妄想に耽ることにとどめるのでありました。

若い時なら、公衆電話というものがございまして、ずぶ濡れをかまわず飛び込んでダイヤルしたものでございましたが、いまは携帯電話というものがありながら、いや、携帯電話がいやらしいのでございます。

いまだにガラ系かと、小ばかにつれつつスマホの必要性を認めぬまま、今日まで通してまいりまして、おそらくこれからもスマホに切り変えることはありますまい。
人と接することが、じつは苦手なタチなのであります。
お女性となら会話できても、男どもとは会話の糸口を自分では探し当てられませぬ。また市役所とか電話サービスに連絡することも、私メのもっとも不得意とするところであります。
せいぜい勇気を出して、不在通知の宅配に再配達を頼むのが関の山。
再配達なら自動受け付けを通せば会話の手間がいらないことは知っておりますが、そこは肉声でないと確信がもてぬのでございます。

でありますれば、私の方から電話するという時は、そうとうな飢餓状態にあるのだと自覚いたします。
「何のご用?」
と電話の向こうの相手の心のガラスの破片を感じ取ったときには、それは、切腹したいほどの後悔に見舞われます。

ああ、そういう時代遅れになろうとは…。
現代っ子と呼ばれた日が嘘のようでございますです。
もっともアメリカンナイズされた男だと言われたことだってあるのでありますですよ。

風がいっそう強くなりました。
どーれ、昨日買った竹鶴の封でも開けようかと思いますです。
孤独死でも妄想しつつ。