05.16
とんとん拍子にいっていたことが突如として音を立てて崩れ去ることは、その被害の大小こそ違っても、さして珍しいことではありませぬ。
伏兵にやられますと、将来にたいして暗澹たる絶望をいだき、鬱となり、あるいは落魄したまま人生を送り、またあるいは、さらに傷を深める過ちをするよーであります。
でありますから成功者と呼ばれるお方は一握りの少数とあいなるのでございます。
今後、さらにこの傾向は増えることでありましょう。
自分の源流を知らずに生きているからであります。
日本人は西洋人と異なり神という規範をもちませぬ。
モラルもございませぬ。
運命も迷信だと切り捨て、利益とおセックスばかりを追い求めるのであります。
テニスの試合を見ましたら、相手のミスにガッツポーズをしておりました。バレーボールでは相手チームのサーブミスに大喜びして六人の選手たちが抱き合っておりました。どこがサムライ日本でありましょう。武士道に反しておりますです。
と思えば、駅伝では倒れながらタスキを渡すランナーに涙の声援を送っているのでございます。相撲でも柔道でも相手の傷めたところを攻めてはいけないのであります。
このように確固たる規範を持たない民族でありますから、いちど失敗すると二度と立ち直ることはできないのであります。
もし、命の源流を知っていれば、「自分はこんなことで絶望するわけにはいかない」とパワーを集中させるでありましょう。
足利家には先祖がまだ見ぬ子孫にあてた「置文」とかがあったそうでございます。足利尊氏はその置文を読み、底知れない力を出し、悪どいことも平気で踏み越えていったということであります。
先祖の力とはそういうものでございいますが、先祖すら粗末にする民族となり果ててしまっては、これも今では効き目がありませぬ。
運命学を信じないお方たちに、四柱推命の鑑定書の価値が分かるかどうか、それは知りませぬ。
しかし、運命の伏兵にやられたときに立ち直るキッカケのひとつとなるのではないか。
もし絶望した子供に親が、「これはお前が生まれたときに鑑定してもらったものだ」と一巻の鑑定書を手渡したら、そしてそこに「汝には、たとえ一敗地にまみれたとしても異国で成功する運命が宿されている。聞け、天の声、地の歓声を、往け、汝は太陽の化身なればなり」などと記されていたら、我が命の源流にふれて発奮するのではないか。
どんなに悪い運命にも、運命を好転する方法がございます。
四柱推命や奇門遁甲は、その運命好転の法なのでございます。
絶望を学ぶだけならば、四柱推命やその他の運命学はとうに廃れていたはずであります。
私メの腐った頭脳にちと血が通ったような気がいたしますです。
なーんて、曇天の空を眺めつつ思いに耽るのでありました。