2015
05.19

このお花は、吊るしておくだけでドライフラワーになりやすい筆頭かもしれませんです。

まったく関係のないお話ですが、
以前、百人一首のエロ訳で右近の、
「忘らるる身をば思わずちかひてし
人の命の惜しくもあるかな」
をUPしたことがございます。

右近の呪いの歌であることは一般訳もエロ訳も同じだったと記憶しております。

が、このたびananにて、この歌を取り上げて再考したところ、この歌には、もうひとつ男への追慕の情が隠されていることを発見いたしました。

上の句は、下の句を解く鍵となっていたのでございます。
どういうことかと申しますと、上の句の「忘」は「心が亡ぶ」でありまして、下の句の「心」は省力して読めという意であります。
また、同じ上の句の「身をば思わず」は「身は考えるな」というメッセージ。つまり下の句の「身命に関する、人の命は」も省略することというワケであります。

これを考慮しますと、下の句は、
「昔もあるかな」が残りますです。「惜」の忄は心でありますから省略すると「昔」の文字が残りますです。
「昔」の文字をバラすと、「廿+日」。二十日の文字が炙り出されます。

すると、全体の意味は、「二十日の夜に忍んできてください。もしも、その願いを無視した時は、あなたを呪い殺しますよ」となるのでございます。

元彼の藤原敦忠は38歳の若さで、右近の呪いのために急死したのは、この裏の意味を解読できなかったためだとしたら面白うございます。

ずいぶんなコジツケかもしれませぬ。
しかし、占い的には、このような解読は許されるのであります。

鑑定書などにも、このような要素を取り入れます。

私メの、こういう解読の趣味を知っているお女性がいたような気がいたします。
もしや、彼女から届いた過去のメールを分析すれば、そこに「しまった!」という発見があるやもしれませぬ。

が、そうは思っても確かめる億劫さに、実行することはないでしょう。

ドライフラワーが二度と、生花となりえないように。
時間は前にしか進めませぬ。
過去を懐かしんでも、過去に戻ることは決してできないのであります。

私メも枯れましてございます。