2015
06.03

幼き頃より、甘いものを食べる老人を軽蔑しておりましたが、どーしても食いたくなる時があるものであります。

あんみつやみつ豆の類は、まことに良いモノであります。

甘いもののほか、小説なども30過ぎてからのヤツが読むモノではないとも思っておりました。
小説などはもともと嘘や妄想なのでありますから、学生が読むのは致し方ないとして、大の大人が読んでいるのは奇妙な感じに受け止められていたのであります。

エロ小説ならともかく、純文学や古典的な名作と言われるものを読んでどーするのかと軽蔑の対象でありました。

また40歳過ぎの恋愛というのも不潔窮まりなく感じておったのであります。じっさいは、その頃からの濁情こそ、恋愛の真髄なのでありますが、しかし、濁情に濁った涙を浮かべられるのは、今でもホラーに近いものがございます。

と、いったって涙が流れるのでしょうから、現実というものはド~しようもないよーでありますね。
「じゃあ、オメさんはどーなんだ」と詰め寄られても困りますが、やはり60歳の自制心をもって濁情に徹するしかありますまい。
歳をとると「純」と名の付くものを手にするとたちまち腐臭となることは、どんなに否定しても否定できないのであります。

子供がみつ豆を食うさまと、60ジジイが食うさまとはぜんぜん違うよーにであります。

これも老人性鬱なのかと考えることもしばしばですけれど、
「いちいち病名をつけるな、このガキどもが!!」
と腹立たしくなり、同年配の奴らが、原発反対とか基地建設反対とか、年金機構に対する抗議デモを目にするたびに、
「なにを学んできたのだ! 金槌をもって暴力にものを言わせろ!」
と、怒鳴りつけたくなるのであります。

甘いものを食しても、このような精神状態。
まだまだ食い足りないのかもしれませんですね。