2015
06.13

朝に、S先生の死を聞かされ、本日の講義はいささかキツイものがありました。

易者連中とは距離をおいているために、その死をなんとななく伝えられつつも聞き流しておりましたが、どうやら本当のようでありました。

これでお世話になった大家先生はすべて失われてしまったのであります。

とくにS先生は占いの門をはじめて叩いたお方だったので複雑な思いが沁みてまいります。
自分には、もはや占いという人道を外れた方向しかないのだと捨て鉢な気持ちでありましたが、S先生から受けた薫陶は、うっ血した膿のような人生に穴を開けてもらったよーなモノでして、はじめて自由を実感し感激し、占いの講義が待ち遠しく、それこそ昼も夜も机に向かったのでありまして、それが30年も前とはどーしても思えないのであります。

占いの技術は他の占いの先生の方が、数段上ではありましたが、S先生からの運命学の基本は、しっかりと身に付けていただいたのであります。

断易の、この箱が棺にみえてしまうのでございます。

しかし、そうなると、今度は本気で、私メが運命学の講義に全力を振るわねばならないのです。
言い過ぎを覚悟して断言いたしますが、もはや四柱推命も断易も、奇門遁甲もキチンと教えられるのは私メだけではないのか。
ここで私メが投げ出してしまうと、正しい運命学は潰えてしまうよーな気がしてなりませぬ。
覚悟を決める時が来たのかもしれませぬ。

やはりちとショックでしてお女性の乳房によってしか慰められない気分であることも事実であります。
そうです。嬉しくても、悲しくても、私メはそこに着地する男であります。

まずは気を取り直し、明日の講義をまっとうせねばなりませんですね。