2015
06.20

赤い、この花が咲いてしまっては、もう夏です。
陽光があせる秋までつぎつぎと咲だす花なのであります。

歩道は漂白されたように熱暑に揺らぎ、男も女も時を忘れて海辺に集うのであります。

本日もーー。
60年安保の闘士たちがしなびた老体に派手なランニングウェアをまとって浜の道を走っているのでありました。

悪い時代にした張本人どもと若者にののしられつつも、奴らはフリーセックス時代の寵児でございました。
ロカビリーから歌声喫茶、そして学生運動の怒涛の中で、角材にヘルメットと手ぬぐいという出で立ちでわめいていたものでありました。

私メもてっきり、その仲間として戦うはずでありましたのに、学生運動という流行は過ぎさり、三無主義へと時は流れたのでございます。

が、60年安保の奴らはまだ諦めていないよーなのであります。
こっちは反戦歌を聞いただけで腹が煮えくり返るというのに「平和」という二文字のもとに団結している感じでございます。

休日の海は、原爆投下国の文化が浸透しております。
野球も嫌い、サッカーも大キライ、テニスもなにもかも自分とは関係ないではないか! なんて思っても、植民地にされきった家畜さんには通用しますまい。

運命学に踏み込めばこむほど冷めた目で世の中を見てしまい、ついには頑迷なジジイと隔離されることになるのでありましょう。

が、テレビにも新聞にも載せないだけで、本当は、「この世がすべて滅びればイイのだ!」「もっとスゴイ天災よ、襲ってこい!」と心に叫んでいる人はかなりの数ではあるまいかと思うのであります。

少年Aの手記を出す出版社、それに反対する団体、心が傷ついたと補償金の裁判を起こす被害者の家族、そしてそれを煽り立てるマスコミども。
結局はお金目当てなのでございます。

海の家は今年も建設中。
夏休み、花火大会、祭りには大賑わいするのでございましょうか。

好きになったと錯覚しては大はしゃぎ、失恋したとかでまたも大騒ぎ。

せいぜい反省ばかりしていればいいさ、なんて捨てセリフをはいて海辺の道を引き返すことにいたしました。

それにしても団塊の世代の奴らのパワーは凄まじいモノであります。
今年も暑苦しい夏になりそうな予感。

暴風雨を願いつつ、山が火を噴くことを楽しみに、クーラーを効かせた部屋で、占いのお勉強を一人でするに限るのでありました。

人々が嘆かなくては、私メの商売は成り立ちませぬゆえ。