2016
02.10

エゲツない画像かどーかは見るお方次第であります。いや撮る私メの気持ちが出るのでありましょうか。ドンキで購入したヌードトランプを我慢できずに開封してしまいましたです。

男と女。
この、得体の知れない二つの性。
でんでんむしのように雌雄同体であっても、二匹がセックスをするわけでありまして、この現象は考えればアホらしい、この世の不思議でございます。

しかし、男と女が存在することによって、争いとかの原因にもなるのであります。

妻を奪われたとか、男を取られたとか。
私メはじつはジェラシーが深い男かもしれませぬ。
なぜなら、新幹線が岩手県を通過する際に、窓のシェードを次々に閉じて、岩手山を誰にも眺めさせたくなくなる衝動に駆られるからであります。

いま爆買いの民族が日本に来ております。
お金儲けで、彼らを迎え入れている方は、たとえば愛する恋人の裸をお金で晒しているよーなモノではないかと思ってしまいますです。

いや…美人ちゃんを混浴風呂で衆目に晒し、自分が、その恋人だという優越感を感じることもございますけれど。

分かりませぬ。

易に「火沢睽」という卦がございます。
睽は「背く」という意味であります。
外卦は離で火をあらし、火は上に向かって炎を出します。
内卦の兌は沢で、沢は下に流れます。
両者は背きあい、結ばれることはないのであります。

ところが、内卦と外卦の真ん中にある二爻と五爻は陽と陰。
これはプラスとマイナスの如く、結びつくのでございます。

つまり睽は、反目しているようで男女の情で結び合っているのであります。

仲が悪くなり、喧嘩を繰り返し、一度は別れた男と女。
ところが、ある偶然で再会すると、ふたたび求め合うようになる。これが睽の本当の意味かもしれませぬ。結びつかないケースも多ございます。

でも内卦と外卦の中心を性器とすれば、セックスの巧みさが、復活するかどうかのポイントであることは間違いないのかもしれませぬ。

そーしてまた「あなたっていう男は!」と否定し、「おまえにはウンザリだよ」と背き、別れとあいなるのでありましょうか。

心が大切だと信奉しているお方は、いとしい肉体をどう解釈しているのか。

ひとつの個体に心と肉体、それぞれ備えているわけでして、
とすると、人間の男と女も、雌雄同体なのでしょうか。
(男肉体と心)×(女の肉体と心)=愛憎

背きあうのは、心同志とも考えられますです。