2016
04.24
お呼ばれされて無駄な時間を過ごした翌日、つまり本日でありますが、庭の花々を眺めながら、昨日の或るお女性の生年月日を反芻しているのであります。
詳しくは述べませぬが、典型的な「土蜘蛛の命」なのでありました。別名、食肉の食客。
身内の男の運を食い殺す運命であります。
もちろん、そんなことは告げず、へへへへと曖昧に濁して立ち去ったワケでありますが、あらためて命式をチェックして、ちと腰を抜かしておりますです。
初等科などで「焚木」とか「欠金」とか、悪い命式の例を挙げて講義しておりますが、まだ骨組みだけの講義でして、さらに講義をすすめて、その命式を現実的なものに翻訳いたしますと、恐ろしい運命があぶり出されるのでございます。
首括りの命もございまして、やはり生きるのが苦しくて新聞に出るほどの事件を起こしたお方もございます。
庭に咲く、花々のように華やいでいながら滅びを内包する命式があるのであります。
今年は丙申の年であることは、すでにご存知でありましょう。
11月から2月の生れで日主が木星のお方に、もしも辛がをどこかに持っている命式であれば、丙が干合して辛の官殺を取り去るからチャンスだなどと短絡的に解釈すると大変なことになるのであります。
そういう単純な解釈では運命を間違いますです。
土蜘蛛の命のお方の言葉。
「すずらんを食わせて宿六を殺して保険料を貰ってもイイね」
「離婚したがっているけど、そうはいかないわ。私のサンドバッグだもの」
ジョークのひとつひとつに刃が仕込まれておるのでありました。
店を出て、すぐ横町に逸れ、追跡をかわして帰路についたのでありました。
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2016
04.23
現実と夢の境があいまいな朝がございましょう。
夢の中で、私メはタクシーを待っていたのでありました。
深夜の宴会に呼ばれているらしいのでございました。
パーティーの招待状には夜の12時に開場と印刷されておりました。しかし駅前のタクシーが来ないのであります。
目覚めてからも私メはタクシーを待っている気持ちが抜けないのでございます。
遠く忘れていた恋心に近い気持ちのよーでもありました。
そのまま玄関をしずかにあけサンダル履きで散歩に。
池に行きましたら桜が湖面に堕ちております。
「流木の命」などと易者らしいことを思いました。
四柱推命で日主が木星で根がなく水星の旺過している命式であります。
文字通り世間に流される運命の持ち主。お女性ならば愛を求める恋多いお方と申せましょうか。
恋にひと飲みにされる傾向をどーすることもできないのであります。
桜の花びらが鯉に呑みこまれるよーに。
甘えたで可愛くて、いつも不安をかこっているお女性なのでありましょう。
夢の中で私メも、真夜中のパーティーへの出席を迷いながらも、来ないタクシーをまっているのでありました。
湖畔をさまよいつつ伸びをすると、脊髄が音を立ててほぐれていくのです。ほぐれるごとに現実へと覚醒していくのであります。
夢との決別が惜しくもございます。
握りあっていた手と手がほどけ、指先が離れていくよーな淋しさと安堵の気持ち。情事のあとの鏡の前の身だしなみしている際の心持にも相似しております。
かき曇った下で花はしずしずと舞い落ちていくのでありました。
半年もったからイイじゃないか。
一年続いたのだから良しとしなくては。
四年も持続するなんて最初は思わなかったじゃないか。
後悔しないほど燃えたはずだった。いや、後悔しないために燃えよーとしていたのだ。
タクシーを待つうちに、招待状はいつしか箸袋と化し、箸袋には「高楼郭」と店名が記されておりました。知らない店であります。現実にあるかどうかも分かりませぬ。
もしかすると桜の匂いが、夢のなかに忍び込んでいたのかもしれませぬ。
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2016
04.22
モリオカは桜の季節であります。
街中が桜に魂をうばわれて発狂しております。
私メも毛羽だった気持ちに桜の蜜で潤いが戻っていくことを指先まで感じるのでありました。
やわらかな風と静寂。
発狂はしていてもモリオカという土地は透明のべっちんに包まれたように静まり返っている不思議がございます。
忙しかったりしてパニックだったとしても、それを恥として「忙しいふりをしてご免なさいね」なんていう感じであります。自己主張すると憐みの眼差しを投げかけられますです。
そういう土地性を嫌っておりましたけれど、こんかいは助かるのでありました。
日の射さない部屋に寝転がり、古い本を開き、お昼には訪ねてきた妹と老母を連れて小岩井農場まで車を走らせて蕎麦を食い、ジェラートを片手にふたたび桜に埋もった街に戻るのでありました。
ホンダのボロ車もイイものであります。
欲しいモノはなにもなく、南部美人をながめては昔を懐かしみ、開けたウィンドーからはなまぐさい土の匂い。葉のない枝はチェロの弦をこするような音。
「もうイイんでね」
「そのへんでやめてもイイんでねのっかぁ」
とモリオカは囁いておる気がいたします。
そして夜。
日が沈むと待っていたかのように、年に一度のピンクムーンが東の空から姿を見せるのでありました。
「は、イイんだ、もは東京を引き払って帰ってくればいがえんちぇ」
と月に肩を叩かれているような気分であります。
が、あと八年。
八年間は三塁ベースで踏ん張らなければならないのであります。
風にあおられ花びらが舞い上がり、月は色を落しながら中天へと昇っておるよーでありした。
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