2016
08.06

かつてお女性は男の支配かに置かれていたよーであります。

やがてウーマンリブとかいう波が来まして、男たちはお女性の台頭を楽しんで許したのであります。

そして、お女性が活躍できる世の中などと歯の浮いた言葉で、ふたたびお女性は男の都合の良いよーに扱われつつあるのであります。

お女性の地位は、たしかに以前とは比べほどもなく向上したかのように見られますです。

が、十傳スクールへ通われているお女性を観察しているうちに、お女性は男の敵にならなければならないと感じるよーになって参りました。

男の敵となって、はじめてお女性は、隠し持っている魅力とか才能を発揮できるのでは…と。

運命学では、女性蔑視の世界のよーに受け止められますが、それはちと違うように思えます。
男と女を、それぞれの肉体的な構造を鑑みて、区別しているにすぎませぬ。男は強くなくてはならない。お女性は優しさか美貌が武器なのであります。

だからと言って、男とお女性が手を取らなければならない必要はなく、敵対することによって、お女性は眩しくやわらかに輝けるのではないかと感じたのでございました。

密林で、銃を持つ男に、襲いかかり首筋に牙をたてようとするしなやかな豹。こーでなければなりませぬ。

断易をマスターし、奇門遁甲を自在に操り、四柱推命によつて命運を把握し、それらの術によって経済的な基盤を得るお女性に、男が勝てるか。理屈と偏見と見栄という名の銃で、男はお女性を仕留めることができるか。

これこそ恋愛ではないかと、発狂の夏の夜の花火を遠望しながら、ニタリと思ったりしたのでございます。