2016
08.25

不思議な鑑定のご依頼でありました。

「船の中で鑑定してください」

横浜の大桟橋は晴れておりまして、鑑定道具を背負った私メは、すでに汗まみれで、いささか不機嫌。他国なのに平気で半ズボンにサンダル姿の不作法な米人を睨みつけてばかりおりましたです。

たちまち機嫌が直ったのは、ご依頼のご婦人が思いのほかの美女だったからでございます。

お船に乗船し、用意された部屋に通されてから、ご婦人は3分に一度は「死」という単語を使われることに、私メはやがて気付き、
「どーして船でないと鑑定を受けられないのですか?」
と、尋ねずにはいられないのでありました。

「それは、もうじき死ぬからです」
答えにならぬ答えを聞き流しつつ、大運を出しましたら、あらら、本当に死期にあたっていて、しかも今年、死を告げる赤い矢が日主に何本も突き刺さっているのでありました。
断易で念をいれてから、

「癌を患ってらっしゃる。胃と肺あたりに」
「はい」
しかし、ガン患者特有の悪臭がしないのは、潮の匂いのせいでありましょうか。

「死にますよね」
「八割方は…」
私メは、占いの結果を、誤魔化すことをあまり得意といたしませぬ。

事業占でも出たままのことを、つまり「その信頼している人は、使い込みをしています」と断言してしまうのであります。

病占で、これは相手に致命傷を与える結果になっていたとしても、人はいつか孤独に死ぬのだ、あがいても、その事実だけはゆるぎないのだ、なんて考えているモノですから、「大丈夫ですよ」と空元気を与えることは出来ないのであります。

が、救いは、どんなケースでもあるのも、また真実でございます。
手術で回復したら、癌が消えていた例も知っております。
病気は治らなくても、余命を充実させることもまた救いの一つでございます。

自分の履歴を見つめることで、自分が何のために生まれてきたのか、そして何のために生きればイイのかが見えてくるのであります。
これまでの人生を邪魔な人間関係だの趣味だのそういうことを削り取ると、小さな種が残るのであります。存在の種であります。

やり残したことがあると思うのは本人の勝手でありますが、存在の種から見れば、死ぬべき時に死がやってくるのであります。

そして、存在の種をしることで、奇門遁甲他の方術を副作用なく操ることが可能になるのであります。

我々はお金や愛欲のために生きているよーに思いますが、案外と、それは錯覚であることが分かって参ります。

ご婦人は「そうです、そうです、そうなんです」と海の向こうを見つめたのでありました。「そうです、そうです」と。
「死ぬことに勇気が出てきました」

「しばらくお一人でお考えください」
すでに二時間が経過していたのであります。

また船上での来週の鑑定の依頼を約束し、私メは「次はカジュアルな感じでお願いします」と言葉を残し、用意されたタクシーで横浜駅へと帰路についたのであります。

※この鑑定を当ブログにUPすることについては、ご婦人から了承を得ているのであります。