2016
08.30
08.30
老木に、どこから吹いてきたのか花びらが舞い降りておりました。
よりどころを失った花びらと、誰にも見捨てられた老木の取り合わせは、私メの心を和ませるのでございます。
この紅い花びらを、うんと着飾らせたいのであります。男どもだけでなくお女性たちが、ふと振り返るような花びらにしたいのでございます。
けれど迷子の花びらが、やがてしょぼくれることも老木はご存知なのでありましょう。
それでもイイではないか、夏の終わりの、一瞬だけでも鮮やかな花となれればイイではないか。
小さな庭にも物語がございます。
死んだ人たちを、花を眺めながら思い出すのも、ときおり、せきこみたいほどの激しい郷愁をさそわれて悪いものではありません。
雨のたびに庭から夏装いが薄れてまいります。
10日前の庭ではございません。
5本の指が埋まってしまうほどの柔らかな、お女性の腿とお話をしたくなりました。
膝頭の裏側を台風の渦のように指紋をあてながら、夏が崩れていく風景を眺めてみたいものでございます。
人は成長するモノだという観念と、人は死に逝くものだという観念の、ちょうど境目あたりにいるお女性と湯豆腐をつつきあいたいものでございます。
精神病から立ち直りかけの透明な狂気をまとったお女性と台風の過ぎた海岸を、髪の根を風にしごかせながら歩いてみたいものでございます。
老木となった私メにも、紅い花びらが吹いてきてほしい。
八月も終わるのでありますから。