09.17
人相の修行の一つに、雨の日の電車に乗り、横に流れる雨を、縦に降る雨として認識するというモノがございます。
或る速度で電車は走っているわけで、雨粒が窓ガラスを横に流れるのは当然ことであります。しかし、実際には雨は上から下に降るのでありまして、それを車内で正しく見るのは、容易なことではございませぬ。
ただ、コツを覚えれば、その時の風によって雨が斜めに降っていることまで分かるようになりますです。
人相を教えてくれた老人は、「われわれは錯覚の中で生きている。その錯覚を取り除き、実相を見ることは、イイことかどうかは別として、訓練としてなさなければいけません」なんて禅問答に近いことを言われておりました。
錯覚の中で生きている。
たとえば石原裕次郎という人気俳優がいましたが、その映画が面白いかと言われれば、さっぱり面白くありませんです。しかし、面白いと騒いだのは時代の錯覚のせいによるものであります。
有名なレストランのフォアグラが美味いかどうか。「美味い!」と言いつつも、「それほどではない」と心で思ったりいたします。
遊園地で三時間も待ったりするのも何かの錯覚が原因しておりますです。
恋愛も同様かも知れませぬ。
失恋して悲しみに耽っているのも錯覚。世間ではよくある話だと気づいてしまうと、愛していたかどうかも怪しくなるものでございます。
占いに完全に染まってしまっている私メは、さっぱり面白いことがございませんです。
本を開くと、こうなってああなって、そしてそうやつて終るのだろうと知れてしまうし、これも職業病のひとつかもしれませんですね。
それでも占いは楽しいのであります。
会話のはしばしから「この人は傷官大旺だろう」とか「金寒水冷的な生年月日だろうな」とか「美人だけれど、ここでこういう言い方をするのは、ははーん、さては燥土の命だろう」とか、「このお女性は水生動物のようだから、この会話に変えれば落ちるだろう」とか、たまには大外れいたしますけれど、ついニヤニヤしてしまうのであります。
本日、四柱推命の初等科が終りました。
〆の言葉として「いくつかのポイントをチェックしながら大胆に推命してください」なんて申しましたが、推命もまた占者の人格があらわれるのでございます。
受講生の皆様にも、はやく私メの風景を見てもらいたいものだと期待いたしておりますです。
じつは私メの風景も錯覚かもしれませんけど。