2016
09.17

人相の修行の一つに、雨の日の電車に乗り、横に流れる雨を、縦に降る雨として認識するというモノがございます。

或る速度で電車は走っているわけで、雨粒が窓ガラスを横に流れるのは当然ことであります。しかし、実際には雨は上から下に降るのでありまして、それを車内で正しく見るのは、容易なことではございませぬ。
ただ、コツを覚えれば、その時の風によって雨が斜めに降っていることまで分かるようになりますです。

人相を教えてくれた老人は、「われわれは錯覚の中で生きている。その錯覚を取り除き、実相を見ることは、イイことかどうかは別として、訓練としてなさなければいけません」なんて禅問答に近いことを言われておりました。

錯覚の中で生きている。
たとえば石原裕次郎という人気俳優がいましたが、その映画が面白いかと言われれば、さっぱり面白くありませんです。しかし、面白いと騒いだのは時代の錯覚のせいによるものであります。

有名なレストランのフォアグラが美味いかどうか。「美味い!」と言いつつも、「それほどではない」と心で思ったりいたします。

遊園地で三時間も待ったりするのも何かの錯覚が原因しておりますです。

恋愛も同様かも知れませぬ。
失恋して悲しみに耽っているのも錯覚。世間ではよくある話だと気づいてしまうと、愛していたかどうかも怪しくなるものでございます。

占いに完全に染まってしまっている私メは、さっぱり面白いことがございませんです。
本を開くと、こうなってああなって、そしてそうやつて終るのだろうと知れてしまうし、これも職業病のひとつかもしれませんですね。

それでも占いは楽しいのであります。
会話のはしばしから「この人は傷官大旺だろう」とか「金寒水冷的な生年月日だろうな」とか「美人だけれど、ここでこういう言い方をするのは、ははーん、さては燥土の命だろう」とか、「このお女性は水生動物のようだから、この会話に変えれば落ちるだろう」とか、たまには大外れいたしますけれど、ついニヤニヤしてしまうのであります。

本日、四柱推命の初等科が終りました。
〆の言葉として「いくつかのポイントをチェックしながら大胆に推命してください」なんて申しましたが、推命もまた占者の人格があらわれるのでございます。

受講生の皆様にも、はやく私メの風景を見てもらいたいものだと期待いたしておりますです。
じつは私メの風景も錯覚かもしれませんけど。

2016
09.17

現代は身旺の時代と、易者の一部では言われておりますです。

四柱推命で見た時に、生まれ日の十干が、地支から支えられているものを身旺と申します。

「オレ、オレ」と自己主張が強いわけでして、押し出しの強いタイプが、いまの世では活躍できる意味であります。

私メは意見やアドバイスを嫌いますから、アシスタントを高く雇う条件として、「けっして提案は言ってはいけない」と、口封じ料金も入っているのであります。

身弱のアシスタントも、これは相当に辛いと見えて、つい「こーしたらいいのでは…」と提案してしまうのでありますが、すべて黙殺。
ものごとは多くの人たちの意見を聞入れることが大切だという世間の常識は通用しないことにしているのでございます。

まぁ、それはそれとして、身弱のお方は、身旺のお方と比べ、依頼心が強いとされておりますです。
ですから提案についても、自分を認めてもらいたい気持ちが潜んでおるのであります。

たとえばプレゼントにしても、身弱の人は悲愴な気持ちでプレゼントをするのであります。
それを「おお、ありがとう」とだけで済ませてはなりませぬ。
なにしろ、自分が困った時はお願いしますね、という気持ちで、泣く泣く高価なものをプレゼントするわけです。
「贈り物をするのが好きなんだね」では恨まれます。
「お礼をしなくては…」なんて、心にもないことを言ってあげることで身弱のお方は安心するのでございます。

こんなことを四柱推命の講義で語っておるのであります。
10月からの卒論科はもちろん、初等科でも人間のタイプを占い独自のカテゴリ分けして語るのでありました。

十傳スクールもスタートから四年。最初の講義では語らなかったことも語っておりまして、一年目の受講生がたまたまその場におりまして「ズルイ!」なんて目を丸くしておりました。

さぁ、本日も講義です。
神田の教室へと向かいましょう。