2016
10.27

いつになっても涼しくならない都会を離れ、新幹線で郷里へと戻ったのでございます。

が、車内も暑いのでありました。

とりあえず2017年度上半期の「奇門遁甲カレンダー」のチェックを。

サンドイッチと缶チューハイの絶妙なハーモニーに瞼が心地よく重くなるのでございました。

今回は被災地、釜石に住む叔父が入院してヤバイとのこと。
その見舞いとお別れを兼ねてのモリオカへの帰省でございます。

で、翌日、つまり本日、老母と共に釜石へ。

途中の山田町の仮設商店街に立ち寄りました。
活気など、勿論なく、風ばかり吹いているのでございました。
数人の作業員が、なんとなく働いているだけ。
どーせ復興したところで、こいつらに税金をはらえるだけの力はないのさと、国から見限れている状態が瞭然とした眺めでございました。
そんな無価値なことにお金をかけるより五輪で儲けようぜ、とも。

叔父はしょぼくれておりました。
死相が皮膚の裏側に漂っておりました。

五年前の殺伐とした街並みはところどころに残っていて、病室の窓の向こうに転々と広がっておるのでした。
「いつ死ぬのだ…?」
画相からは、まだ偲骨あたりに暗色が沁みていないので、すこし持ちそうだと判断できましたので、部屋を出て、ロビーでうとうと。
一瞬間、夢を見ていまして、私メは絶壁をよじ登っているのでありました。背後はコバルト色の海でございます。と、体を支えている赤いザイルが回転しながら解けているのでありました。
目を開けると、ものの一分も経っておりませぬ。

死ぬ死ぬ死ぬ。
唱えながら、ベッドの上での、肉地獄を考えようとしました。絡みつくお女性の脚を思い出そうとしましたけれど、ダメでありました。

重たい時間でございました。

気がつくと、もう帰りのハンドルを操り、長い橋の上でありました。
そして気がつくと、早い夜が訪れ、対向車のライトに眉根をしかめておるのでございました。そしてまた気がつくと、そこは実家の食堂で、老母と鍋を囲んでおり、また気がつくと、自室で煙草をくゆらしているのでございました。
肩におかれた手を感じて、見回しましたら、そこは釜石の病院のロビーで、老母が「帰るべ」といい…いや、老母などはおらず、新幹線の中で、肉の万世のカツサンドを片手にしている自分に気づくのでございました。