2017
01.03
01.03
海の方まで行こうと思い、自転車に乗ったのですが、駅伝があると気づき、引き換えそーと、小道に入ったのでありました。
そーしましたら、完全に迷ってしまったのであります。
茅ヶ崎は迷路が多ございます。おまけに道が歪んだりしておりますから、いちど迷いますと、北も南も東も西も皆目分からなくなるのであります。
それは悪い気持ちではございません。
むしろ、心躍る気持ちであります。
早くしやわせになりたいのに、しかし、いつまでも迷っていたい気持ちに似ていますです。
あるいは夢の中で夜更けの町を彷徨っている気分。
タイムスリップしたのではないかという辻に出くわしたりもいたしました。
迷路と人生を重ね合わせるのは、美空ひばりの歌っていた歌みたいで時代遅れの気がいたしますが、それでもやはり、運命というか、そういうものを思ってしまうのです。
こうして迷いを楽しんでいますと、ふと、人の心が読めたりもするのです。「あのお方は、欲のために私メを利用しているのだな」とか「あの言葉にあのお方のすべての心があったのだな」とか「あのお方が、ああなったのは、長年の苦労の末のことなのだな」などとであります。
また、ふと思うのであります。
迷っていると感じているけれど、では果たしていつもの道は迷いの道ではないのか。いまの自分は迷路にいないと言えるのかと。
混沌とした時代に突入し始め、濁情こそが方位磁石かもしれませんです。ワインに酔った潤んだ真っ黒い目を思ったりいたしましたです。