2017
03.05

齢をとって何一つイイことはございませぬ、と、そー思っておりました。

ところが、断易中等科の講義の中で、ふと口からこぼれたフレーズを電車の中で反芻してみると、ひとつだけ、若い頃にはできなかった楽しみのあることに気づきましたです。

「若い頃の恋愛は衝動だけで我慢がきかず突っ走るのだけれど、40代も中ばを過ぎると、恋のエッセンスを楽しめるよーになる」
講義でこう申したのであります。

スケベな関係になることを引き延ばし、夜の街をどこまでも歩いたり、灯りを舗道に落した洒落た店に立ち寄りワインを傾けながらお喋りをしたり、ふと首を伸ばしてくちびるをあわせたり、おたがいに意味深な笑みを交わすたのしみは、いちど交わってしまうと、もはや戻ってはこないことを、年齢を重ねるうちに分かってくるのでございます。

お互いに、心のなかでは、じぶんたちはきっと、かならず、むすばれるのだと知っているのです。
恋のはじめの甘美なときをたいせつにしたいと。

それでもふいに若さの端くれがこみあがり、路地の暗がりにかくれ髪の毛が指に絡むように、ためいきをもらしながら、くちびるをもとめずにはいられなくなるのです。くるしみの嬉しさ。

「お昼はなにを食べた?」
「もう一軒、どうかな」
「またしばらく逢えなくなるね」
「夢の中にでてきてね」

使うことはないだろうと封印した言葉が息を吹き返すのであります。

その 言葉が、暗がりで擦るマッチの火のように、想い出のなかであらわれては消えていくほろ苦い切なさは、いくつかの恋の失敗を経験した年齢にたっしないと楽しめない悦びなのでございます。

「紳士だったわね」
「おれは何をしているんだろう」
「わたしもたのしんでるの」

慕情がからだのすみずみまで油のようにゆきわたり、忘れていた甘い疼痛が心に沁みてくる。はらはらと心が痙攣してくる。ふたりのあいだにある空気の温度が上がってくる。テーブルごしにあいての耳を指にはさんでみる。親指のはらでくちびるをなぞる。ワイングラスがたおれる。

はげしく結ばれたいのに、結ばれてしまうのが惜しいきもち。そして結ばれなかったことを悔いるもどかいしいきもち。

春の夜であります。
恋を濁情となるすんででキープさせる老春の季節なのであります。
男と女の関係は物語なんかではないことを知ってはいても。