2017
03.09

「わたしには秘密があるの」
運の悪い日は、どこまでもツキがなく、行く先々の店がぜんぶクローズ。あるいは予約でいっぱい。仕方なしにドアをおした中華料理屋で、彼女は、まるで挑むようなまなざしで「秘密」の二文字を告げるのでありました。

「知っていたよ、なんとなくだけど」

双眸は赤や青に変化し、しかし、そのような色の照明はあるはずはなく、それは心の揺れだと気づきましたです。しかも表情が少女になったり大人のお女性にも変化しているのです。

その秘密を知れば、魔のトライアングルで行方不明になった飛行機のよーに、彼女から抜け出せなくなるのだろうと予感するのでございました。

お女性の秘密ーーなんらかの傷を知った瞬間から、男は、その女性の魔法にかかるのでございます。
美人だけではうごきません。知性でもうごきません。そういうお女性がいたことすら、名前すらも忘れるのであります。たとえ肉欲を刺激するようなプロポーションの持ち主でも、心を動かされることは少ないのであります。

傷が必要なのであります。

傷を見せられた時、男はその欠落部分を補おうとして、気づいた時は深入りしすぎているのであります。
「距離をおいたほうがいいのかしら」
「どーして?」

路地を折れ、さらに曲がり、坂道をのぼり、外路灯がくらく舗道をにじませております。その、よわい光が、お女性の貝殻みたいな鎖骨に影をおとしております。
鎖骨の上にはくちびるが。白い歯の間から舌の細かな粒が濡れております。
「あなたがほしいわ」
目を鎖骨に戻しますです。

「いずれそーなる、秘密を知ったから」
「あなたがほしい」

ふたたび闇夜を歩くのであります。
「お昼はなにを食べた?」
「スープよ」
「えっ?」
「トマトのスープ」

いつもだね、とすこし笑い、通りに出て、赤い空車の表示をつけて走るタクシーを何台も見送るのでありました。