2017
05.06

今年も茅ヶ崎の、ちいさな神社の境内で演芸会が始まるのでありました。

BSの番組に出たとか出ないとか、そーいうことがステイタスみたいな歌手が集うのでございます。

私メはけっこうワクワクして、毎年、見物に自転車を走らすのであります。

この日の午後は、事務所で鑑定した後、冷蔵庫に飲みさしのワインとか日本酒をラッパ飲みしまして、気づいたときは、すでに5時。おぼつかぬ足取りで東海道線に乗り込み、着きましたのが7時でありました。

すでに演芸会は始まっておりました。

社務所の縁側を、このよーにステージに仕立て、約百人の年寄りが集うのであります。

哀しいかなしい、爆弾でも投げ込みたくなるほど切ない演芸会なのでございます。

むろん加山デブゾーも、桑田ゲーズケも出るはずもなく、したがって雑巾のよーな観客しかおりませぬ。

それでも賑わうのは、けっしてノッているからではなく、ドサ周りの歌手に対する情けアワレミだけなのであります。

だのに歌手は歌手で雑巾ジジイやババアに元気を与えよーとしてか「人間は前向きの姿勢が大切だ」とか「何事もプラスに受け取ろう」などと訓を垂れるのでございました。

売れない歌手の説教を我慢して聞くストレスが、最後の絶叫につながるからたまりませんです。

そしてさぁラスト。〈祭りだわっしょい〉であります。

これは歌手と雑巾たちが一体となるのであります。これも例年の如し。
祭りだ、祭りだ、と盛り上がったところで観客が「わっしょい、わっょい!」とあいの手を入れる計算でしょーが、茅ヶ崎のジジイはそうは簡単には従いませぬ。

「死ねー!」
と、どさくさに紛れて誰かが発しました。わっしょい!と叫ぶところを、ふたたび「死ねー!」。わっしょい、わっしょい! わっしょい、わっしょい!
「戦争しろー!」とも怒鳴っております。
すると四方から「ぶっころせ!」の声、声、声。

もう滅茶苦茶であります。
「テンノー!」という声も飛び交い、興奮の渦にある老人たちの何人かは、おそらく入れ歯を失ったことでございましょう。

茅ヶ崎の良いところであります。
私メも「ぬげぇー!」。
酔いが回っておりまして、間合いが合わず、怒号が先行いたしまして、いっしゅん静寂に…。
わっしょい、わっしょい! わっしょい、わっしょい!

ドサ周りの連中も「うお、ヤベぇ」みたいな気弱をちらつかせますが、境内には係のヤツなどおりませぬ。たとえ係員がいたとして、そいつらに何が出来ましょう。死を目前にしたジジイに怖いものはないのであります。「このまま歌い切ろうぜ」と肚をくくったか、歌手はわざとらしい笑みに切り替え「祭りだ、祭りだ~!」

前向きになろうよ、の訓どころではございませぬ。
となりの背の低い老人は、いちいち飛び上がってはニコニコして「ぶっ殺せ!」を連発し、大ノリノリノリでございました。
握手を求められましたが、無視。仲間ではないのだ、この糞ジジイと睨んでやりました。

後ろの暗ーい感じの歌手は、そーいえば見覚えがございますです。「困ったなぁ」の表情が、この夜の演芸会を素直に物語っております。

が、関係ございませぬ。
「戦争しろー!」
わっしょい、わっしょい、わっしょい!

「ぶっころせ!」
わっしょい、わっしょい。
「ぬげー!」(これは私メ)。
わっしょい、わっしょい、わっしょい!

品が悪いとお考えでしょーか。とんでもないことだと否定されるでしょーか。
じつは高校の頃に、平泉で真冬に「延年の舞」という儀式を見物に参りました。小さなお堂をカメラマンや報道陣が取り囲むのでありますが、そいつらに地元の奴らがヤジを放つのであります。
はじめは驚き、都会からの観光客は眉を顰めましたが、これは古くからの風習なのであります。罵声によって魔を封じるという面白い土地の習わしであることを亡父から聞かされました。

茅ヶ崎の演芸会で、その原型が自然発生的に爆発したのは、じつに開放的で平和の象徴だとコーフンいたしましたです。

演芸会が終わりましたら、雑巾のオスたちは、どこかしょぼくれながら、ぞろぞろと帰り始めるのでありました。

私メの喉はガラガラでありました。
連休も終わりなのであります。蒸し暑い梅雨が待っておりますです。