06.13
ティッシュの使用量が、ガクンと減っていることは、年齢のせいでありましょうか。それとも仕事が忙しくなったからでありましょうか。
いや、お女性にモテなくなったというケースも考えられるのであります。
ティッシュは鼻水をかむのでもなく、テーブルに落ちたラーメンの滴を拭きとるのでもなく、ましてやトイレットペーパーに使用するのでもない。目的は一つ。こう認識しておりますです。
快楽にしびれて動かすこともままならぬ腕を盲ざわりでティッシュの箱に伸ばし、シュッ、シュッ、シュッ、シュッと抜き取る、あの重たい感触。
ときには「しまった、となりの部屋に置きっはなしか…!」と汚れるがままにしたり、ティッシュが一二まいだけで切れてしまって空箱をさぐり愕然としたなどの、ティッシュ盛んなりし頃の想い出がよみがえりますです。
「トイレに流さないでよ、詰まっちゃうから」
の声を後ろに、掴んだティッシュの残骸をつまんだまま、
「と、いうことはトイレを詰まらせた経験をしたんだな」
と不意に嫉妬がテングに反り返せる現象を惹起せしめ、その仏様を握りしめながら寝室にもどり、ティッシュをふたたび大量に使用する行為に耽ったこともございます。
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ!
小学校五年生になったあたりに、同級生の女の子から、次々に出てくる、いまのティッシュの原型の折り方を教えられ、花紙で練習したものでした。
家庭の貧乏な生徒は便所紙を花紙として使っていた時代の話であります。
それから間もなくティッシュが登場して、花紙時代は終わりを告げたのでございます。
まだまだ高級品ぽくて、やたらと使うことに罪悪感を覚えましたが、行為の終わった局部を拭きあう後ろめたさが加わり、ティッシュはその名の爽やかな響きとは反対に、二倍の罪悪感を愉しめる存在に化けたのでありました。
若いお女性が大量のティッシュを片手に下げて帰宅するさまを、いまでは羨むような感情で眺めておりますです。
家庭ごみの、ゴミ袋に多くのティッシュが混じっているのを目にしては、「みんな毎晩こんなにもヤッているのか…」
と気が遠くなるような軽いめまいをしてしまいますです。
私メのティッシュは去年の11月からひと箱も減っておりませぬ。
使い方も忘れたようであります。
そーいえば街角でティッシュ配りもずいぶんと姿を消しましたですね。