2017
07.06

都会の密林なのであります。
何もかも面倒くさくなったりしたとき、しばしば事務所からタクシーで1300円ほどの距離にある三四郎池に足を運ぶのであります。

元気で気力も十分な時ほど、じつは危険な時期なのであります。

このよーな場所は、三時間も山歩きしてよーやくたどり着くくらいの疲労と交換して得るべき地でございます。

が、東京のど真ん中なのであります。ワープしたという表現が適切であります。ただし、どこからともなく学食のカレーの匂いが運ばれてくるところは、食卓で山歩きの夢を見ているのに似ているとも言えますです。

元気で気力が充実している時ほど、じつは疲れ始めているのだと気づいたのは、かなり前のことでして、「ちかごろ文章が荒れているね」と言われたあたりでした。

お女性からは「わたしの話を聞いていなーい」とも言われたりして、自分でもこれは危険な前兆だと気づくのでありました。

そーしたとき三四郎池へ。
大昔にキャンプした原生林に囲まれた沼を彷彿させる池ということもございますです。

この世のいちばんの地獄は、好きな人が隣で苦悩しているのに何も出来ないことだ。

この感覚が薄れてしまうことを私メはたぶん恐れておりますです。病の子犬が腕のなかで死んでいってしまうことを想像していただければお分かりかと思いますです。
ただ祈ることしかできない無力さに腹が立ち、他人を傷つけて、その無力のうっぷんを晴らす。

他人を傷つけるとき、おそらくきっと、愛する隣人の誰かを黙って見守るしか出来ない状態にあるはずであります。私メはそー思うのであります。

易者という稼業の身でありながら、その地獄の感覚を忘れては、易者の資格がございませんです。たしかに食い詰めて、易者に堕ちたわけではありますが、ではなぜ運命はオレを易者にさせたのかと自分に問うと…。

三四郎池は、ふしぎな美しさを心に蘇らせてくれるのであります。幼稚ではあってもピュアな心。また泥だらけになっても、ここに来れば透明に清まるのだという安心感があるのであります。

しかし、半周するうちに汗まみれになってしまいました。