2018
01.19

「やりやがったな…!」

いつも、この感情の起爆が、次のステージに飛躍するカンフル剤のよーであります。

遁甲の講義の漏洩をどーしよーかと、つまらぬことを考えておりましたけれど、おもえば初等科の内容であります。

思考を立体化させることにいたしましたです。
すると、いろいろと可能性という黄金の扉が、そこにあったのでありました。

アメリカの占いのシステムを一目見たとたんに、目ははるか向こうの「!」を見据えたのでありました。

漏洩されてはならない内容は、初等科以降のものであり、それを知ることで、「なーるほど」とピタンと手を打ち、「たしかに…」と納得することになるのであります。
「感謝すべきことだったのかも」
と思ったとたんに、空腹に気づき、にしんの塩焼きだのナポリタンだの、ハムエッグだのを食い漁り、
「古き衣を脱ぎ捨てる時が来た」
パンパンに張った腹を見下ろすのでありました。

が、占いとは科学とは、まったく別のサイクルを持つのでありますから、最初は算数かもしれませぬが、そのあとは運命という思想の領域に入っていくわけであります。
非情、有情、虚と無、幸と運などなど。

遁甲はダメだ、四柱推命は良いというようなものではございませぬ。

なんとなく興奮し、帰りの東海道線はひとり大汗をかき、「あず、あず」と扇子であおぎっぱなしでありました。