2018
01.25

雪に埋もれた郷里の実家で考えております。

占いよって何が出来るかを、であります。

占いは、非科学的な非常識なる方法と思考によって、目的を達成するひとつの方法であります。

それを仕事としているのであれば、お客様の苦悩を取り去り、快適な生活を作り出すことが、そのすべてなのであります。

ご存知の通り、私メは人種差別の権化でありますが、がしかし、私メを頼って来てくださる方が、チョーセン人だろうとアメリカ人だろうと、その一個人の味方になるであります。

たとえ法を犯した犯罪者だろうと、大金持ちだろうと、売春婦だろうと教員や死を目前にした病人だとしても、占いという技法を馳駆し、そのお方の目的を叶えるためにフラフラになるのであり、また、十傳スクールに通っていただく受講生の方々にも、そうあって欲しいのでございますです。

だいたいにして自分を頼ってくるお方の味方をせずに、ではいつたい誰の味方をするのでありましょーか。

ここでいう目的とは何か。
「お金が欲しい」というお客様がいたとして、そのお方の本当の目的は別にあるのではないか。あるいはお金を得るためには、お金を得る以外の道を歩むことで最後にお金を得ることになるのではないか。

これらを四柱推命という技法で相手の真の目的を見極め、方法として奇門遁甲の思想を用い、あるいは断易を取り込んで周囲の状況と、起こるだろう現実を予見し、未来を形づくるのであります。危機を避けるのであります。

流派だの理論だのバカバカしいことはどーでも良い事なのであります。

占いをご趣味にする人だとて、いずれは占いをもって誰かを占う日が必ず到来いたします。

ボヤボヤしてはいられませぞ。

救いを待つ人たちが、諸君を待っているのでありますから。

もしも諸君が、占いによってお金を得たいのであれば、はやく占いをマスターし、お客様に死に物狂いで尽くす以外に方法はありませぬ。
株やギャンブルを占いで的中させたならば、その資金を使い鑑定室を設け、お客様に接する方向へと進まなくてはなりませぬ。

占いは当てものであることは間違いありませぬが、それだけではございませぬ。当てものだけであるなら、下駄を放り投げて裏かオモテの当て方を究めればイイのであります。

そうではありませぬ。

占いの底に潜む、「こういう時は、このような対処が正しい」「イジめられた時は、こうするのだ」「出世を望むならば、この姿勢を貫かねばならぬ」といった、処世術を身に付けることが理想の在り方なのであります。

親や教員や先輩などに相談したところで、ラチが開かないから、相談者は諸君を頼るのであります。親や教員や先輩どもは、自分の生き方しか知りませぬ。
が、占いは、その一風変わった思想から、真の人間の欲望や悲しみのパターンの数々を教えてくれるのであります。成功するための数々の道筋を告げているのであります。
技術と同時に、その点にも目を向けて欲しいのであります。

占いの先には、「医」という健康法があり、さらには「仙」という幸運法が広がっておるのであります。

諸君、目先の愚かな問題など放っておくがよろしい。
諸君がつまらぬことにかまけ、迷い疑い怠けていては、諸君を待っている相談者に申し訳が立たないではありませぬか。

そとは寒さに冷え切っております。
私メは、寒さをお燗で暖めつつ、いささか酔っぱらっておるのかもしれませぬ。