2018
02.24

「ツチノコ」と「さいかち」を誤解して、頭に入れておりました。

ツチノコは実際には存在しないマボロシの生物であります。
これを存在するものとして求め彷徨うよーな人生を送っているお方が多いのは知られざる事実でございますです。

「それは夢なのだ」
とは知らずに「努力すれば手に入れられる」と懸命に頑張るお方たちであります。
「あなたは富豪にはなれない。せいぜい小店主止まりの運命だ」
とは知らずに夢を見ているケースであります。

不幸の一種かも知れませぬ。

「おおっ、やっと手に入れられたぞ」
と、私メのようにツチノコを得たと得意になったら、それはサイカチだったという場合もございます。
錯覚のままでいられたら、しやわせだったかもしれませぬ。

サイカチをツチノコだと誤解して覚えていたワケであります。

しやわせは、じつは日常生活の中にあったという「青い鳥」のお話ほど、読後に虚しさを覚えるお話はありませんでした。
都会に出たら幸運に恵まれるのだと頑張ったけれど挫折し、結局は郷里で活躍の場を得たという漫画家のよーな話でありますです。

東京で、お美人と知り合い不頂点になっていたところ、そのお美人は自分と同じ郷里の町内の出だったと分かった時の、落胆と、安心感みたいなものでありましょーか。

「いいのだ、これこそが真のしやわせなのだ」
悟ろうとしても、孫悟空が天高く上り、証拠にと墨で目印をつけたら、それはお釈迦様の手のひらだったというお話のよーに、虚しさを伴うのであります。

人生は、そのよーな錯覚に彩られているのかもしれないと、温泉地で見つけたサイカチの袋を眺めているのでございますです。