2018
03.25

白鳥が北へ帰還しだしたのであります。

池が騒がしかったので、そろそろかと思っておりましたが、朝の雨があがり、日差しが出たと同時に、いっせいに白鳥が帰還し始めたのでありました。

別れの声をあげながら。

「これだったかもね」
モリオカでの、ここ数日にまとまって発生している偶然の理由のヒントをばらまかれた気持ちでありました。ばらばらな偶然が語るモノ。
不倫相手との再会、秘伝ノートの発見、叔父の墓所の発見、旧友の老いの姿…。

運勢の変化とでもいうのでしょうか。

そーいう時に、きまって予兆があり、今回は、過去の接点の扉がひらいたのかもしれませんです。

占いとは、普通は見捨てるよーなケースを拾い集め、ゴミ箱を開くごとき発掘に似ておりますです。

私メも白鳥のよーな奇声をあげながら、帰るべきところに帰らなければならないのでありましょう。

気力も体力も充実しております。
痛風もほとんど回復しておりますです。

空に白鳥がはばたくなら、地にはバッケがほころんでおります。

昔のお女性が家庭に戻り、死者が墓のなかで眠り、旧友が退職後の生活に満足し、それぞれが得た着地点を、この目で確認いたしましたけれど、私メはまだ帰るべき何処かを見つけられずにいるのでございますです。

濁情の渦を楽しめるのか、会得した知識を放出し続けなければならないのか、あるいは、笑顔を忘れた彷徨い人の道しるべとなるのか、運命のまだ決着がついていないよーに感じるのでございます。
その見返りとして健康と自由といくばくかのお金を、運命は私メに与えているのではないかとも思うのでございますです。

が、鷲尾先生が「オノさんには、まだまだ時間があるから」とノートを手渡してくだっさった時に仰っていた「時間」の残りが、そんなにふんだんではないことも確かであります。

新聞を破り捨て、TVの元線を引き抜き、豚丼を胃袋に流し込んで、老いた翼を広げよ―かとカラ元気を出すのでありました。

今回のモリオカは魂の休暇日でありました。

2018
03.24

モリオカのユニバースというスーパーで、仲睦まじくカップラーメンをセレクトしている老夫婦がおりました。

その後ろを通り過ぎて、
「!」
思わず振り返りました。

「Y君ではないか!」
そう、たしかにY君であります。
白髪で腹はいささか出ておりましたが、学生時代にさかんに酒を飲み、暴言を吐きあったY君なのであります。
京都から東京まで2トントラックで引っ越しを手伝ってくれたY君。彼がモリオカに引っ込む時も、やはり二人でトラックを交代して運転したY君。

彼が就職で経済連に面接に行った時も、車で送ってやったのであります。

そのY君と目が合いましたが、
「なにか御用ですか」
みたいに一瞬、怪訝そうな表情をしましたが、ふたたびラーメン選びに専念したのでありました。

キチンとした身なりでしたし、なんとなく堂々としていましたから、ホッといたしました。
「しやわせな晩年のよーだね」

パーキングに戻り、車を始動させると、Y君夫婦が、ちょうどスーパーから出でまいりました。
フロントガラス越しに見送りました。

とーーー。
奥さんがチラリと振り返りましたです。

一秒にも満たない視線の交錯がございました。
瞬時でしたけれど、40年間を越えた接着がございました。こなごなに砕けたガラスの破片が逆回転で接着しました。

……接着。
粘着性のある、はがれたがらなかった唇。

誰も知らない秘密でありました。
肉厚の唇が憶えていたのかもしれませぬ。

電気毛布に包まれているよーな、あらゆる怒気が安らかになる唇。
不経済な唇、と笑っていた唇。

いつの秋の夜だったでしょうか。
氷雨のよーな別れの言葉が、とけかかったソフトクリームみたいな唇からこぼれるとは。
「これっきりよ。街角で出逢っても、声をかけねんでね。結婚するから」
加賀野のアパートのドアの内側から鍵をかける音がよみがえりましたです。

いま、振り向くときまで、奥さんの存在が、頭から消し飛んでいたことが奇妙でなりませぬ。

ラーメンを選んでいたY君しか私メの目に入っておらず、奥さんが隣にいるというくらいしか意識していなかったのであります。

二人の結婚披露宴の招待客としてまねかれた時、私メは奥さんを無視し続けていたのでありました。
Y君の花嫁さんが、まさか彼女だとは思いもよらなかったのでありました。問題のある女なんだよと、Y君から聞かされておりましたが。

「何してるえん」
老母の声に、車を動かしました。
ハンドルを握る指。

この指は知っています。

たぶん、あなたの唇が知っていたよーに。

 

そうおもっていたいだけ。

2018
03.23

陰鬱な雲がたれこめる墓地なのであります。
真冬のよーな彼岸。

いくつかのお寺を回り終えた時、
「ちょっと…」
老母が、キッタンさんのお墓を探してけねべか」
と言い出しました。

キッタンとは吉旦叔父のこと。
自殺してから、すでに40年以上の歳月が過ぎております。

叔母と結婚後、一年後に発狂し、精神病院に入院し、その後、退院したまでは良かったのでありますが、すでに叔母に離婚されていたのであります。
無人の我が家でガス管をくわえて死んだのでありました。

十傳スクールでたびたび叔父のことは語っております。

いろいろと不祥事の多いオノ家の話題の中でもベスト3にはいる椿事でございます。

叔母も精神を狂わしたのでありましたが、狂っているはずの、その一方で、叔父の貯金をすべて移したということを、後日、耳にしまして、お女性の物凄さを知ったのでございます。

墓を探せと言われても、それは墓所から探さねばならぬのであります。

夏の日に、いちどだけ墓参りしたことがあり、手掛かりはソレだけでありました。

40年の間に、モリオカはずいぶん変わりました。私メの記憶もあいまいなのでございます。

あの夏、ちょうど、墓参りが終わった時、叔父の親戚が墓参りしにきたのとぶつかりまして、逃げるよーに立ち去ったので、ますます墓所の在処が曖昧なのでありました。

が、「ここらあたりだったよーな」
という通りを走っておりましたら、前の車が右折のウィンカーを出したのであります。
「あのあとを行くべ」
と、こちらも右折。

すると、どーでしょう。
忽然と墓地が広がっていたのであります。

しかも、無数の墓石が群れのあるなかで、偶然に向かったところに、その墓を発見したのでありました。
墓標には、昭和50年11月5日と、叔父の名が刻まれておりました。
姿なき手招きなのでありましょーか。

花を手向ける人もない墓石にたたずんでいたら、老母の母、つまり祖母の声がよみがえりました。
叔母の結婚が決まったあとで、祖母が突然、オノ家を訪ねて来たのであります。
そして頼みもしないことを告げたのでございます。
「この縁談は凶だからなはん。とるものもとりあえず、それを教えに来ました」

オノ家一同はカンカン。

しかし、結婚後、まもなく叔父の奇行が始まったのでした。

周囲をすべて不幸に巻き込んでの結婚でありました。

その不幸も40年という歳月が延べ慣らしてくれたのかもしれませぬ。
帰り道、西の山から陽が差し始めたのでございます。