2018
04.25

何年ぶりでありましょう。
こんかいのアホーローは、このラーメンを食うためであったのか…と、
「ラーメンとチャーハン」
の注文を陽気に告げた時に気づいたのでありました。

「ひさしぶり」
てな顔をされたのでありました。

 

それはそれは美味いラーメンなのでございます。
観光案内で調べても探し出すことはできますまい。
普通の小汚いただの中華料理店なのでありますから。

以前より、値段がやや上がり、オバちゃんの腰の曲がりがひどくなったほかは何も変わりませんです。

旅行すると、かならず襲われる感情に、今回は、この店で到来したのであります。
「オレは何をやっているのだ」という感情。

いや、オレはキムラ満夫だと、心に言い聞かせても、「それが架空の人物だということは、自分で良く知っていることだろう」と風のよーに声がふぶいてくるのであります。

もう、ラーメンをがぶがぶ飲みこみ、チャーハンを胃袋に詰め込んで、夜の街を期待する以外になくなったのでありました。

と、街角に
「亡びの道と命の道がある」の言葉が落ちているのでございました。

むろん亡びの道が正しいのであります。

ふたたび、キムラ満夫となり、デパートの地下などで食い物を眺めたり、北のファッションを観察したりするのでありました。

もう少し、この街にいよう。
雨が降り始め、いよいよ何もすることもなくなりましたので、移動を諦め、
「映画とかもイイだろう」
とも思い、
「いやフーゾクも悪くはあるまい」
とも。

あるいは思いっきりのブスを誘惑し、セクハラの限りをおこなって、怒り出す分岐点を見切る研究をしても面白いだろうと思うのでありました。

野党どもの勇み足の報道は、この最果ての町にも届いておりますから。

2018
04.24

バカ国民が、整形失敗の福島某とかいう女政治家のセクハラ騒ぎにあっけにとられているなか、私メは木村満夫となりまして、列車に乗り込んだのでありました。

ここはパリ。シャンゼリゼ通り。
もちろん嘘ですけれど、おもわず
「オー、シャンゼリゼ、オーシャンゼリゼ、猿もおどる、朝鮮も踊るシャンゼリゼー~」と歌いたくなる街並みなのでありました。

ホテルの最上階の特別室しか開いていないというのでありますが、
「一泊一万円」と言われましたので三泊申し込み、そのお部屋に行きましたら、
「スイートと言わずに特別室というわけだ」
の部屋なのでありました。バカに広く、窓辺にはバーが設置され、柱には画像のよーな円形のくりぬきがございます。
が、まったくロマンチックではございません。

そして、歓楽街へと足を運ばせるのであります。
木村満夫の人脈作り。

生年月日も血液型も別人、むろん性格も暗めで、少しどもる癖があるという設定なのであります。

「き、キムラって、か、書いて」
と名前を覚えてもらうために、領収書を発行させるのでありました。

だいたい三件ほどの店を回れば、第一日目の基礎が完了するのでありました。

大の野球とサッカー好きの性格設定は、かなり苦しいのでありますが、30分も喋っていると、
「じつは本当はそーだったりして」
と、日ごろ、サッカー選手に麻酔をかけて足を切断し、目ざめた時に、どのよーに絶望するか、想像するだけで楽しいと思っているほどサッカー嫌いの自分に疑問を抱いたりもするのでありました。

さあ、二日目、キムラ満夫の冒険がはじまりますです。

2018
04.21

四柱推命卒論科の講義のまえに立ち寄るカフェが土日は休みになってしまったので、しかたなくブラブラ歩いていましたら、へすけたドトールが止まりました。

2階の窓から神田西口の通りが見渡せますです。

のんびりして、へすけた店の割には落ち着けるのでございました。

神田の貸会議場を使用してから4年ほど経つのでありましょーか。
しずかに変化しておりました。

歯医者の看板にかくれて、「源ちゃん」の店は健在でありました。

講義後に皆様とずいぶんと飲んだ記憶がございます。

帰らざる日々であります。

お酒が過ぎますと、翌日の講義が苦痛になる歳になりましたから、いつしか足が遠のいておりますです。
が、あの頃の賑やかな笑い声は記憶として耳に残っておりますです。

休日の初夏の透明な空気は、過去を思い出すのには丁度いいのでございますです。
講義の内容も深くなり、新しい分野にも踏みこんできましたから、私メとしても油断することができませぬ。
また、十傳スクールの今後にも頭をめぐらさないといけない時期にきている気もいたしますです。

素朴なカフェでつかの間、むかしのあれこれを思い出しては、
「これから6時間講義だぞ」
自分をどやしつけたりもするのでありました。

占いは、古いかび臭い分野のお勉強なのですが、
「ここは変だぞ」
首を傾げる部分があり、すこしずつ新しく書き換えたりしておりますから、死んではおらず、まだまだ可能性の残された金鉱ではないかとニタリといたしますです。