2018
05.04

GWで東京駅構内が動けないほど混雑していたので、横須賀線を利用いたしました。

二組の家族連れが、楽しくお喋りしていました。
その一組が横浜で降りていきました。

幼い子供たちが、車内とホームからそれぞれ手を振って別れを惜しんでおりまして、やがて列車は動き出したのでした。

車内の女の子が、ポツリと。
「もう一生あえないね」
そこで、二組は横須賀線だけの縁だったのだと気づいたのでありました。偶然に乗り合わせ、笑みを交わし、子供たちが仲良くなったのでありましょう。

会えるよ、大きくなったらあえるよと、親はなだめるのですが、女の子は「一生あえない」としくしく泣きだしたのでした。

シートに背中をもたせ、ミネラルをひとくち。
逢えない人たちの方が多いのだろうなと過去を振り返りました。
では、逢いたい人はいるのだろうか、いるなら何人だろうか。
逢ったとして、どんな話をするのだろう。

地下鉄駅の入り口に消えていくお女性を呼び止めて、
「ドライブしょうよ、東京駅まで」
タクシーを止めて、夜の皇居の森を右手に眺めながら、二度と逢えなくなりそうな予感をおぼえた彼女と「明日は仕事ですか」などとバカみたいな会話を繰り返すのでありました。

過去をうしろにバラまきながら生きているのでありましょう。
「一生、逢えないね。大きくなっても逢えないね」
ホントはすれ違うという形で逢うのかもしれませぬ。混雑した東京駅の構内で、たとえば40年後に。

「あなたと逢う時だけスィッチがオンするの」

そして想い出は、スイッチをオフにした時にしか見えてこないのであります。

戸塚で東海道線に乗り換えました。
女の子とも一生、お別れなのでありました。