2018
05.28
05.28
ともに生きる相性があるのなら、死ぬ相性があってもイイだろうと考えたからであります。
が、考案当時は、どの雑誌でもNG。単行本からも無視されたのでありますです。
死は、突然のように起きるわけでして、元気に出勤したまま、心臓麻痺とか事件に巻き込まれて帰らぬ人となることも少なくないはずであります。
死の相性の2人が出会ったらどーなるかと思うとぞくぞくするのであります。
あるいは、「死のうかな」と漠然と望んでいる人がいたとして、「誰かいっしょに死んでくれる人がいたらしやわせだろうな」と思ったりするかもしれませぬ。そんな時、「あいつとは最高の死の相性だ」と分かっていれば、
「ねえ、どこで死のうか、いつ死のうか、どうやって死のうか」
とリアルに楽しめるのであります。
ただタイミングの問題もありまして、「よーし、お金持ちになって生きてやるぞ!」と発展的なお方が、そこに「わだすとあんだは死の相性よ」という相手が出現した時は困ったことになるやもしれませぬ。
いやいや、相手も死の相性だと気づかない場合、「愛してます」の囁きも「いっしょに死んで」と聞こえてくるやもしれませぬ。
おもわず、相手の首を絞めるのではなかろうかと思ったりもするのであります。額に血管を青く浮かばせ、相手の目が飛び出すほど首を絞め、その目の瞳孔が開いていくさまを、涙をにじませながら見てしまうのでありましょうか。
死の相性が複数、同時に現れるのもトラブルの原因になりますね。
死の3Pとか。
ところで殺したい人は何人いますか?
いっしょに死にたい人はおりますでしょうか?
確かなことなど何一つわからない世の中において、ただ一つだけ、「いつかは死ぬ」、これだけは確実なのであります。
来ないしやわせを虚しく待つ必要もないわけであります。