2018
09.21

まな板の二倍以上の巨大鮭を頂いたのであります。

そとは秋風。時雨ております。

包丁を研ぎ、腕まくりをしまして、その鮭の解体をすることにいたしましたです。

頭を落とし、腹を裂き、するとシンクは真っ赤な血糊であふれんばかり。
中骨に添って尻尾からそりそりと包丁の刃を滑らせますと、
遠い記憶の底から亡き祖母の声が聞こえるのでありました。

秋になると亡父とよく魚釣りに渓流に行ったものであります。
喰えないほどの魚を釣り、帰宅すると、まだ生きていて、水を張ったタライで泳ぐのであります。その魚の脳天を小刀のかどで叩き一匹ずつさばいていくのが祖母の役目でありました。
「鬼っ子だ。人間は鬼っ子だ」
呟きながら、腹にメスを入れたとたん蘇生した魚を握り作業をつつけたものでありました。

それらの作業を見て覚えたためか、魚をさばくコツみたいなものを覚えておりまして、巨大鮭も20分ほどでバラバラに。

包丁を洗い、まな板を清め、シンクのぬめりを落とし、最後に手についた血糊と臭いを丁寧に洗剤で流してしまえば、あとは料理するだけ。

塩を振って保存するものと、内臓などは鍋に入れて食おうかと思うのであります。まったく捨てるところなく処理すれは、鬼っ子でも祟られはしますまい。

人の運勢も、お女性の性感も、鮭のごとくそれぞれ異なるのであります。メロディーのように包丁と鮭が一体化することかあるかと思うと、なかなか身を開かぬ鮭もございます。
最初は手こずらせても途中から従順な鮭もいれば、トントン拍子にいっていた作業が、最後の頭部を二つに割るところにきてから逆らうように手こずらせる鮭もおるのであります。

今回の鮭は、ピアニッシュモに刃物を入れたら、
「そーされたら、もう…」
としがみついていた指をほどき、されるがままに解体されいったのでありました。

2018
09.19

奇門遁甲密室科は、講義している私メでも、
「ヤバイ…!」
と自分の口を塞ぎたくなるよーな応用的な事を述べてしまう魔の教室なのであります。

昨日もまた、凶を消すためのいくつかの方法を口走り、それをボードなどに書いてしまったのであります。

しかし、それらの秘伝っぽいことを実践するためには、日々の記録が必要なのであります。

良い事が起きたなら、それがどのよーな良さなのかを手帳などに記録しておくことであります。悪い出来事に対しても同様であります。

そして、遡ってみると、
「ああ、あのときに使った方位作用だったのか」
とうなづくことがあるはずであります。

本屋に行きましたら、老店主が自分の畑で取れたというモロヘイヤを自単車のカゴに入りてくれました。こうちょっとしたことも記入しておくべきでありましょう。
「たかがモロヘイヤでか?」
とせせら笑いたくなるかもしれません。

しかし、人がモノをプレゼントするということは、その人の心なのであります。
可愛くない人に、だれがモノをくれるでありましょうか。
モロヘイヤではなく、もしかするとカニだったり高級酒、あるいは百万円だったりしたら、それは記録するに値するのかもしれません。
けれども、人がモノをくれても良い人だと、相手側が自分を評価してくれたわけでして、言い換えれば、自分が方位によって好感度をあたえる雰囲気を得たと言ってもイイのであります。

「わたしは不幸なの!」
と絶叫しても相手にしてくれる人がいるでありましょうか。
「遁甲で吉方位を使ったのに!」
と怒鳴られても、その方位が求めていることを実行していなければ、どんなに吉方位を用いても遁甲の神様は沈黙するばかりでありましょう。

密室科…。
とんでもない教科を作ってしまったものだと、いささか悔いておりますです。

2018
09.16

9月の乱は、ギャンブル宝典終焉の件でございました。

私メが監修していた雑誌なのであります。

当初、太田出版から「ギャンブル大帝」として刊行しておりましたが、他の出版社の同じ、占いで当てる「一攫千金」という雑誌の罠にはまり、社会的な事件に発展したことは、もう誰も覚えてはおりますまい。風説の流布ということで、当時の監修者が降りた、その事件を私メは飲み屋で耳にし、「バカな、ギャンブルの監修など易者にとってマイナスにしかなるまいに…」と大笑いしていたことを、昨日のことように記憶しておりますです。

が、私メは同時に、もっと以前の、やはり或る事件を思い出しておりました。
学生時代に住み込みでバイトしていた旅館に、吉田のおっちゃんなる、占いを特技とする老人がいたのでありました。
「オノはん、ハイセーコーは来まへんで」
と占いで、競馬を読み解く達人で、その老人の言う通りに買って、かなり儲けさせてもらったのであります。
が、その老人は殺人者で、奥さんを出刃包丁で殺害し、逃亡中の身であったのでありました。
ある早朝に、警察が旅館に踏み込んでまいりましたが、吉田のおっちゃんはも抜けの殻。
キチンと畳まれた布団を前に、「占いで逃げたのか」と激しく感動したものであります。

時を超え、その監修にと紹介されたのは不思議でございました。
「バカ易者になってみるか」
名を「ギャンブル宝典」と変え、やがて太田出版から独立したのが1998年ではなかったかと指を折るのであります。

当時は20代の編集者も、すでに50歳の坂をゆうに超えております。

ギャンブル宝典廃刊は、時の流れでありましょう。
やるべきことはやり終えた清々しい気分さえいたします。

ひとつの時代を終え、次の時代という海に、漕ぎ出す老兵が私メであります。