2018
12.09

やっと東京も涼しくなり始め、
「おお、年末かぁ」
と頬にあたる12月の風が心地よいのであります。

例年のとおり、キリスト誕生のジオラマを飾るのでありました。

年末のはじまりです。

ワイワイ騒ぎながら、一日がパラパラ動画のように過ぎていく贅沢は、12月だけの楽しみかもしれませんです。

昨日は、断易初等高等科の人たちで忘年会をいたしました。
ささやかな忘年会。
しこたま清酒を呷り、十傳スクール名物男の伴った「ぼくの彼女」と称する、謎の美女に「彼とのSEXはどーでしょーか?」とジジイ的質問を投げかけたりして、酩酊を自覚したものでありました。

が、事務所に戻り、二時間もすると酔いが冷めまして、「しやわせカード」作りに専念したのでございますです。

この世に生まれた意味などを考えたりもするのでありました。
意味などあるわけがなく、草が道端に生えているのと、さほど変わらぬこととは知りながら、それでも、
「これからどーする」
と自問しつつ、やはり酔いが残っていたのでしょーか、奇妙な哀愁にひたひたと浸るのでございました。

やがて2019年が来る…というより、2018年が終わってしまうという意識が強く、振り返っても何かがあるわけではないのに、それでも過去に意味を求めてしまうのであります。
雑踏をかきわけて歩くしやわせも、年末のたのしみのひとつ。
車窓を過ぎる家々のともしび。

今日の講義はあれで良かったのか、鑑定に完全燃焼したか、人の心を踏みにじったのではないか、勇気を出せたか、卑怯なマネはしなかったか、今日の自己評価は何点だ?

その「?」の数々を問いかけながら、部屋のあかりを消し、
「あっ!」
と、何かに気づき、けれど、それが何なのか分からぬまま、ふたたび部屋を暗闇にし、その意味を思いながら、意識を消すのでありました。