2019
02.21

老母の確定申告書を提出したあと、祇陀寺という曹洞宗系のお寺の近くにある、うなぎやの暖簾をくぐりました。
暖簾はありませんけど。

二年ぶりでしたのに、覚えていてくれまして、特別のお部屋に案内されたのでした。

五臓六腑にしみわたる美味しさでございました。それと一陽にも効果的。

うんちくを語る以前の、
「うなぎとは、こうでなくちゃ!」
の美味さなのでありました。

廊下でへだった部屋から、ときたま会社員らしき人々の笑い声がそぞろ聞こえてくるほかは、何も聞こえず、鼓動が時を刻んでいるだけでございました。

私メはさいきん夜のモリオカの歓楽街から足が遠のいておりますです。
理由は、
「もは飽きた…」
でございます。

それは東京にいても同様でありまして、高梨臨のよーな女の子がいれば別の話でありますが、なんとなく会話が見えてしまい、店に入った瞬間から、気だるい後悔の念にかられるだろーという億劫さ、でございます。

が、うなぎを喰うと、
「誰かがオレを待っているのでは」
みたいな、危険な期待が体内から鎌首をもたげてくるのでございます。
「行ってみなければ、飲み屋の高梨臨がいないとは断定できまい」
と。
そして老母にいうのであります。
「今夜は何も食わなくていいよね」

タイムマシンというものがあるなら、10代の私メが、このうなぎ屋の近くで、ヤンキー娘の手を握りしめ、
「ボクと逃げよう」
駐車している車のドアを片っ端からあけようとしている自分の姿を見つけるかもしれません。

「いかん、いかん」
が、もはや、そこは深夜の飲み屋でありまして、濡れた舌をぬめらせ、上目遣いにのぞき込んでいる高梨臨が、私メの耳に吐息を吹きかけているのでありました。