2019
04.28

たった今…と思っていたのは、ずいぶん過去のことで、いまは誰もおりません。

私メは、一枚の写真を思い出しながら、公園のベンチに佇んでいるのでした。
その写真は、友人のものでして、
「こんな写真がでてきたよ」
と見せてくれたものでありました。
海辺の写真でありました。

7人ほどの中学の男女が、海を背景に笑っておるのでした。ある者はしゃがみ、ある者は野球ボールを放るポーズで。夏の日の一コマでありました。

そこに私メはおりません。
「オノ君がシャッターを押したんだよね」
いいえ、私メではないのであります。
「どーして?」
「海に行かなかったから」

もう一人、海に来ていて、その写真に写っていない者がシッターを切ったのであります。

そのある者が、前日に言いました。
「オメェは来るな」

しかし、親には、友達の親戚が海辺に住んでいて、そこに皆と一泊して海水浴に行くと許しを得ていました。いまさら「行かないことになった」とは言えませんでしたです。

で、翌朝、私メは一人で、皆とは一本後の列車に乗りました。

雨が降ればイイのに、と思っていましたが、絶好の海水浴日和なのでした。

その海岸の駅で降りました。
松林の向こうに、皆を見つけました。

ぼんやりと遠くで座っておりました。ひとりでおにぎりを食いジュースをみ、寝っ転がたりもいたしました。

写真の撮影をしたのも見ておりました。

「オメェは来るな」
と、言った者がシャッターを押している後姿を、とても遠くから見ていましたのに、記憶の歪みで、ほんの近く、かがめた腰の脚の間から水平線まで見えるほどの距離で、私メはすぼませた目でなめつけていたようであります。

が、皆は、私メが海に行ったと譲りません。海でいっしょに遊んだと信じ切っておるのであります。
ですから、「だったかなぁ」と笑うしかありませんです。

夕方に、隣の駅まで海岸を汗まみれになって歩き、列車に乗り、どこかの駅の待合で朝まで時間をつぶしたように思います。よく憶えておりませんです。ベンチに落ちていたたくさんの蝉の死骸を足で踏みつぶしていたよーにも思いますが、あとづけの記憶かもしれません。

それから20年ほど経ち、奇門遁甲を学び、まっさきに実験材料にしようと思ったのは、その者でありました。すっすっかり忘れていましたけれど、丁度いいと思いましたです。

不慮の死を遂げたという報せを受けて、
「どういう気持ちだ」
と師匠から言われました。

この奇門遁甲の秘術は、初等科を学べば、その応用というか、いや、応用ではない。根底にあるもの探れば見えてくるものであります。理屈ではなく、干支のお遊びではなく、であります。
いちおうは門外不出の一つとはいたしておりますけれど。