06.05
新聞を開きますと、サッカーとかテニスとか野球の記事が載っております。
本気で読んでいる人々がいることが不思議でなりませぬ。
選手であれば、自分のことなので読むのは当然かもしれませんですが…いやいや、私メは私メの出演したTVも、雑誌に書いた占いなども、まったく見たことはございませんです。
ましてやアカの他人のスポーツなどを、ご覧になるお方の気持ちが不可解でならないのであります。政治のことも同様。また、サシハラさんのどこが良いのかも分からず、これはついに時代に取り残され始めている現象なのだと、おかしいのは自分自身だとも思い始めておる次第であります。
せんだっての包丁で殺された現場にお花を供げに訪れる人たちの神経すら直視できないのでございます。一か月後、半年後、一年後も供するのであればでありますけれど、花屋は繁昌でしょうねと、思うばかりであります。人の不幸をあそぶなと論すれば、お怒りが集まりそーなので、「良いではないか、まぁまぁ」なんて眉毛を上げてはおりますです。
つい、この前までは天皇への一般参賀あたりが理解不能でした。
しかし、これではいけませんです。なにしろこれでも易者でありますから、悪意も善意も、肌で理解できないよーでは失格なのであります。
麻薬を吸ったお方をさんざんに叩いていますが、そのお方が罰金を払ったりすればイイことでして、他人が大騒ぎする必要もなく、面識もない芸能人の結婚や浮気について語るのも愚かでございます。
ツツジを眺めておりますと、どれもこれも狂人が口をあけて怒鳴っているみたいに見えてしまいます。
私メの知らないところで、野球やテニスに熱中すれば、いくらかでも儲かったり利益になるシステムがあるのでありましょーか。犯人についてコメントすれば、少しでも自分にプラスになるのでありましょーか。
TVに出た店が行列になったりしておるのを見ても「ホントはあまり美味くはないはずだよな」と絶対に行かないぞと決意したり、流行のファッションの記事を読んでも「あの恰好だけはよそう」と参考にはいたします。
しかし、「エスカレーターでは駆け上がらない」というマナーをたちまち守る東京駅の人々を見ては、唖然としてしまうのであります。
そして、そーいうお方に気を取られる私メもどーしよーもございませんです。
これは隠居間際かもしれませんですね。