2019
06.11

講義をしていて、とても面倒になることがございます。

差別と言われる用語であります。

占いの講義は差別なくしては語れませんです。
「死期に死にきれなかった者は盲目になったりする。盲目は人間の病の中でもっとも重い」
などの言葉がとても多く、「従財格が破格した時は、世田谷の豪邸をすべてなくし、一家五人が足立区に住むようになる」とかも、何となく言いにくい表現であります。

が、差別と言われ用語を使用した方が、具体的にキチンと理解できるのでございますです。

私メが占いを学んでいた時代は、そのよーなことは気にせず師匠の口から発せられておりました。

「いまは、そういう世情ではなくなっている」
「昔の価値観では通用しない新しい時代なわけよ」
とか言われ、いかにもそのよーにも思えますです。

が、価値観とかモラルは時代によって変化するものでして、もしかすると差別用語に対して神経質だという事は、どこかで、差別されている人々を使ってお金儲けをたくらんでいる権力者がいるのかもしれませんです。

たとえば、
パラリンピック…ふーむ、これは儲かるでありましょう。

弁護士などにとっても差別問題が浮上することは、儲けにつながるはずであります。

聖書曰く、「今の効果しか持たぬ法律を信じるべからず。大衆の都合に合わせた善悪と倫理を捨てよ。外見の差別、外見だけ飾り立てた美や威厳を信じてはならぬ」と。

占いは長い時間をかけて時代を通し、積み上げられた人間の本質の研究でありますです。
令和の時代に入ってから、輪をかけたように見せかけの美や優しさを称賛されている気がしないでもありませぬ。

占いを研究するには、参考になる時代とも申せましょう。

いらだちを感じてしまう美徳には、かならず裏で腹を抱えて笑う者が存在することを忘れてはなりませぬ。

窓を閉じ、鍵をかけ、自分だけの価値観を、ここで再点検をする必要があるよーであります。そのために占いの根底にある考え方はとても役立ちますです。