2019
07.05

蝶のサナギが、羽化のときを待っているのでありました。

可笑しなものでございます。卵から幼虫となり、幾度かの脱皮をへて毛虫になって、サナギの時期を迎えて、そして蝶になるわけであります。

蝶は、ひらひらと空を舞い、交尾して葉の陰に卵を産みつける。

蝶は、蝶としての時期が本当の姿なのか、葉っぱをエサとして枝にへばりついている時期が本当なのか、サナギを見上げているうちに不思議に思てくのでありました。

蝉もまた、地中にいる数年間が本当の姿なのかもしれませぬ。

いずれにせよ、あでやかに舞う蝶には、目前に死がございます。死しかございません。
中年の国語教師が「私の未来は…」と語った時の、もはや未来のないものが「未来」を夢見る愚かさに失笑したものでありましたが、しかし、蝶の五色の羽根の模様の艶やかさを笑う者はおりますまい。

毛虫のままでは交尾する相手は出てこないことを知っているのでありましょーか。
やはり美しくなければ、おセックスは無理、愛されるはずがないのだと、それで死にゆく最後のイベントに美しい姿を神から贈られたのかもしれません。

花が咲き誇るのもおなじ理屈と思えてきますです。

では、人間は…。
羽化の時を待っているのか、終わってしまったのに、まだ何かを待っているのか。
待っていても、ただ老いが深く刻まれるだけなのであります。