2019
07.09
07.09
叔父の死体が火葬され、灰に化し、収骨にいたる一連の儀式に流されているうちに、自分もまたいつの日か、そーなるわけだと思いましたら、こんな画像を撮ってしまっているのでありました。
この身もまた灰燼となることは避けられぬ未来なのでございます。
この世での存在感は肉なのでアローか。骨なのでアローか。
自分のこの唇で、ものを喰い、女体をしゃぶり、言葉を放ち、息を吸う。
唇が肛門からまでの一本の管であり、その管ごと、いつの日かバーナーで焼かれることが信じられるようで、嘘みたいな気もするのでございます。
この目は自分の目なのか、自分の目なのに、自分を見ることができない理不尽。
景色を眺め、秘所を見つめ、本を読んだりする目は、心のどこにつながるのか。
叔父の白蝋のようなデスマスクとはあきらかに違っているのに、そのどこがどのよーに違っているのか。
私メの著した人相本が品切れらしく、
「ああ、人相のセミナーもしなくてはな」
などとも考えているのであります。
もっと肉体の芯の部分のクローズアップも載せようとしましたが、自制いたしましたです。
むろん、そのセミナーは「刀巴心青」という色情人相であることはいうまでもございませんです。
気色悪い画像にお付き合いくださいましてありがとーございますです。