2019
08.25

夏はどこかに去ったようなモリオカなのであります。

蒸し暑いといえば暑いのですが、熱気は勢いがございません。

草取りの合間に、ちかくの池に足を向けました。
寂しくボートが二隻。

昨夜の夢を思い出しました。
十傳スクールの夢であります。
「昨日の講義はどーしたのですか?」
と受講生に言われて、
「しまった忘れて休講してしまったのか」

おそらくモリオカに長滞在していて、心のどこかが心配になっているよーであります。
「ボケてしまったのでは」
という心配です。

まだ東京は暑いのでアローか。
そんなことを考えつつ、夏の終わりを楽しんでもいるのでありました。

そろそろ関東へと戻る時期が迫っております。
完全にズーズー弁が染みついていますから、講義の最中に、ぽろぽろと方言のナマリで皆さんを楽しませることができそーでございます。

ズーズー弁が染みついた代わりに、清潔な身体になっております。
そのせいか、昨夜、エロ本をコンビニで買ってしまいました。

2019
08.23

離れの洋館で、断易NEXT科のこれからの研究にいそしんでいるのでございます。

中等科で触れる「天玄賦」というヤツがあり、以前、多くの名人さんは、
「天玄賦で目覚めたのよ」
と開眼した旨を教えられたのですが、私メには、さっぱり何のことか分かりませんでした。

が、NEXT科のテキストをチェックいたしますと、
「なるほど…、鍵は天玄賦にあったのか…」
いまさらのように気づかされるのであります。

NEXT科のテキスト(まだ生徒さんに未配布のモノ)から抜粋すると
●女来。男との関係を占い、六合卦が出た場合でも、用神が世爻を生じないのはお金か目的で付き合っている関係である。
とあるのです。
胡喣納支法において六合卦は、否、予、復、泰の四つがありまして、世爻が妻財なのは、否と予と復。泰は世爻が貧乏星である兄弟であります。
すなわち、泰は六合卦でも、お金を目当てにした恋愛である可能性が高いのであります。
さらに、
●卦中の妻財が多元していれば、彼はお女性にモテる男とあり、その男の用神である官鬼が世爻を剋する場合は、お金のことで苦しむか、男の女性問題で悩む、とありますです。
やはり胡喣納支でみますと、該当するのは、大過、巽、噬嗑、泰、夬であります。

二つの条件に当てはまるのは「泰」の卦。

恋愛占で「泰」が出た場合は、お金がらみとして、その傾向の度合いを、月建、日晨で測るのであります。
また泰の兄弟は陽爻でありますから、働くが、お色気不だという判断も付け加わるのでございます。

むろん、卦の動きで判断はいくつにも変化はいたします。

泰の世爻は辰の兄弟。これが動けば応爻の酉の子孫と合いたしますです。
「ははーん、若い男に惚れましたか」
などの判断へとなったりいたしますです。

ちと専門的になりましたけれど、こういう理論で適合する卦や卦の状態を潰していくのがNEXT科の本道(講義はまだ、そこに至ってはおりません)でありまして、その導入部分といいますか、リンク部分が「天玄賦」なのであります。

よその教室はどーかは知りませんけれど、私メは性分なのか、テキトーに手を抜けないのであります。

師匠である鷲尾先生から伝えられた断易を濁さずに講義ししているのが高等科まで。

NEXT科は私メの占例をもたくさん揃えまして、そこから抽出したものを理論にいたしましてテキストを作っておるのであります。

モリオカの別宅での書斎は静かでありまして、断易を深めるには最高のスポットであります。
最終講義は、この自宅で開催しても面白いかもです。

2019
08.21

いつもの、ジャジャ麺の店に行きましたら、無言の集団がどやどやと入店してきたのでありました。

「チョンさんどもか…まさか!」
ジャジャ麺は自分たちの祖国が発祥であるからと、クレームをつけにきたのかと。

八幡平の開墾に入植してきた朝鮮人が、モリオカに移り住み、そこで広げたホルモン料理や、冷麺などが、やがて盛岡冷麺とかになったので、その点は認めているわけでありますが、だからといって、いまさらクレームをつけられても…。

ところが集団は大人しいのであります。朝鮮人ならば例のごとくがなり立てるはずのに、会話ひとつせず、運ばれたジャジャ麺を、美味いとも不味いともいわずに黙々と食っているのであります。

檻のような格子からちらりと見えた名札は、日本名。

みると引率の男は、モリオカのトライビングスクールのネームプレートを胸に下げております。
「なーんだ」
夏休みを利用して、運転免許を取得するために各地からいらした合宿免許組の方々でございました。

教習時間の合間に、希望者を募ってマイクロバスで「ジャジャ麺を食べよう」の企画だと分かったのであります。

どうりで、皆お静か。従順であります。

私メも覚えがありますが、自動車教習所に通っていた頃は、
「運転の出来るヤツって天才でねべか」
だったのです。
根気と屈辱と我慢の日々。

そして、運転免許証を、この手にしたときの解放感。

それにしても、お女性と男が分かれて座り、なんのスケベな気配もない異様な静けさは、何だったでありましょーか。