2019
08.30

もう、水道の水は熱くはありません。
おもいのほか冷たく手のひらを濡らすのであります。

「さいきん冷たくなったね」
お女性に指摘されたような感じ。

「そうかな?」
と水道水は弁解しても、
「わかるんだな、私には」

ほかに好きな人ができたとかそーいうのではなくて、おそらく、「季節のせいだね」としか抗せない程度の冷たさ。

気温も日差しの強さも真夏とほとんど同じなのに、初夏のような初々しさはなく、激しい情熱も気恥ずかしく、足先に冷たくあたる冷房に、夏の終わりを知るのであります。

すると、真昼の静寂がふいに恐ろしくなったりするわけであります。
入道雲は崩れ、蝉の声が染み入り、洗濯物が揺れ、白い服が悲しく、どの音楽を聴いても、心が満たされず、ぼんやり何かを眺める自分がたたずむだけであります。
「たいせつなものを忘れてきた」
その大切なものが、モノなのかヒトなのか、ハートに関するものなのかもわからず、

「抱かれたい」

自分を求めてくれる何かに身をゆだねることで時を消化したくもなるのでありましょうか。

ひとりで佇むと、周囲の花々がしおれて、枯れて、虚となり、ぐるくる時が回って、気がつけば、取り返しのつかない年齢に老いてしまっているのではないかと、不安に包まれるのであります。

ひっしに異性を求めて虫が鳴くのも同じことかもしれません。