09.01
椅子であります。
セレクトに失敗すると、これほど邪魔なものはございません。
靴も同様でありますが、買ってしまってから、
「しまった…」
いまいましく後悔いたします。パイプ椅子でよかったと処分したくなるのですが、思いのほか大きくて車に入りきれない場合がありますです。
十傳事務所に革張りのソファーがございまして、十傳スクールが始まる8年前だったかに捨てましたけれど、一階の指定された場所に運んだときの苦労は忘れることができません。
きっと新しく手に入れたとしても、いつか飽きてお荷物になるでしょーけれど、それでも椅子が欲しいのであります。
「まだ使えるえんちぇ」
と老母に何度も呆れかえられたことがございますが、使えるから、まだ使えば良いというものではございません。
値段の高い安いでもございません。
椅子を変える時、運命もまた別の方向へと歩み出すよーな気がいたします。
そして、椅子は着席するためのものなのか、それとも立ち上がるためのものか。
眺めるためのものかもしれません。
まさか、そんなわけはなく、やはり快く作業する道具のひとつに過ぎないのだと、気持ちを現実に向けようといたしますが、オケツを包み込むだけならば、機能で選べば良く、であれば迷う必要もないのであります。
じつは実家に残してきたクルマも、座席で選び、そのために入荷に四か月も待ったのでありました。
おそらく、私メは、椅子を語りながら、椅子を語っているのではございますまい。
夢占いでいう、地位の好転だとか、安定した生活などという他愛ない椅子の象意を信じるには老い過ぎております。別の環境への憧れなどが、椅子には意味されていると言われても、
「ばかばかしい」
のであります。
椅子ではなく、椅子を意味するものを知るには、気に入った椅子に出会った時に分かるものでございましょうか。