2019
09.14

朝の神楽坂は散歩に最適であります。

仕事人は忙しそうにメシを食い、職場へと急ぐのであります。
夜のいでたちとは異なり、
「ははぁ、上下で八千円はしないな」
と、それでもオヒャレっぽく着こなし、眉間に剣針紋を刻ませて、のどかに散歩している私メにぶつかるような歩き方をするのであります。

それも虚しいのでございます。

やがて時が経てば、皆様もジジィ、ババァと老いさらばえ、次のしかめっ面世代にバトンタッチするわけでありますから。

「いま」が、どれだけ大切なのか認識するような年齢になってはお仕舞いかもですね。

飯田橋まで坂道を下ると、カナルカフェ。
カナルは水路とかの意味でありましたね。
お仏蘭西みたいでロマンチックなのですが、この時期は蚊に悩まされるという現実が待っているのであります。

散歩という行為は、人生とか運命などを考えさせられますです。
たとえば、先ほどの剣針紋のお女性は、人生のほんの短い期間に付き合った関係だと仮定したり、下り坂は、楽に人生を送っていた時期だとか。

仕事人とは簡易もなくブラブラしているということは、無頼の人生なのかと改めて痛感いたしますです。

でも、けっしてサボっているわけではなく、これでもテキストを作成したりして、朝から疲れ果てているのであります。

散歩は、どこかで戻ることが散歩なのであります。
東京大神宮という、縁結びの神社を折り返しの場所として、境内で一休み。

「なるほど、神頼みするわけだ」
同情したくなるお女性の群れに中に、美貌の男子が一人。
なんと、
ウィンクするではありませぬか。

吐くか殴るかであります。

が、疲れ果てておりましたから、すたすたと足早に退散。

おかげで、靴擦れができましたわい。