2020
05.25
かつてないほどの疲労感を背負って茅ヶ崎に舞い戻りました。
原因は一つ。
別宅にシャワールームを設置しなかった。コレなのであります。
母屋を建設中ですから風呂を使用することはできませぬ。老母の住んでいるアパートのバスルームは狭く、また脱衣室がありません。老いてたるんだ肉体を老母の目に晒すのは死んでもイヤであります。
予定ではアパートが満室ではなく、どこかに空き部屋があると思っていたわけで、私メの読みの甘さがございました。一部屋残らず借り手があり、塞がっていたのです。
仕方なく、クルマで15分ほどにある空き家の風呂に、早朝の4時に入りに行くわけでして、なにも早朝でなくても良いのですが、なんとなくご近所の目が気になるのでありました。これが手間というか億劫なのでございます。ガスの元栓を閉め、タオルをカゴに詰めて、そして戸締りして帰宅するという手間が。
そこに昔の仲間たちの、
「温泉に行かないか」
この誘いに乗ってしまったのでございます。
二泊三日。
そのなんと疲れたことか。
温泉は最高なのでありましたが、集団行動が大の苦手な私メの弱点がモロに出たのでございます。ストレス。会社や役所などの旅行とは、こういうものなのだろうか。
身に染みて痛感したことでした。いちいち、こうだった、ああだったと書き連ねるのもおぞましいのでございます。
やはり温泉は、一人か、お女性と二人で行くに限ります。
おかげで風邪まで引いてしまい、咳止めを3倍も飲んで、新幹線に這い乗ったというわけであります。
そこに神の救いがございました。
アスパラガスが大量に贈られていたのであります。
「これだ…!」
アスパラを薄切りにしての、しゃぶしゃぶでございます。
そこに豚のタンを、これまた薄切りにしまして貪りましたです。
疲労が、刻々と引いていくではございませんか。2時間もすると身体がシャキッとしてきたのであります。
あたかも枯れた草に滋雨が降り注いだよう。
どんなに家相を完璧にしたと思っても、どこかに落とし穴があるものであります。
シャワールームを設置しなかったことが、家相的にどーいう結果になったかはさておき、「完璧な家は存在しない」と昔から言われておりますが、その通りでありました。
家だけでなく、絵画も音楽も小説も、すべて完璧なモノはございません。だからこそ完璧を求めて作品がつくられるのでございましょう。
それにしてもアスパラガス。
自由、健康、お金の幸運の3大原則を満たすためには食物の重要性を、いまさらながら身に染みて痛感した次第でございました。
下半身もむずむずし始めておるではございませんか!
Category:
開運料理 /
Tags: no tag /
2020
05.24
未来とか、夢、希望という言葉ほどむなしいものはございませんです。
空は廃墟を照らして、
「これが、お前たちの末路である」
と示しているのでありました。
新しい生活様式の模索などと調子のいいことをいろいろな方々が語っておりますが、人と人が距離を置いた接触、ソーシャルディスタンシングとかいうんでしたっけ、よく分かりませんですね。
「人と近づきすぎるな」
これは対人関係で傷つかない最良の方法でして、私メも講義で、
「こういう命式を見たなら『敬遠』でやり過ごすこと」
なんて、近ず離れずの関係を「敬遠」の言葉で説明しておりましたです。
しかし「密着」したい関係もございまして、恋の火遊びなどはリモートではなんとも歯がゆいばかりでございますです。
それともやがては、離れた場所で頭脳と頭脳をつなぎ合わせ、快楽の周波数に合わせると、えもいえぬ猥悦を共有できるマシンが登場するのかもしれませぬ。
なにしろ、おセックスは脳でするものでして、いくらフェラをされてもダメなものが、お女性のエロ話を告白されるととたんにそそり立つような具合であります。これは…というのは脳で官能するのはお女性も同じでございましょう。男の過去の性体験のお話とかとは別でしょうけれど。
たとえば、荒涼たる画像ではございますが、丸太をつないだ道を歩いておりましたら、靴音が「ゴロン、ゴロン」と響くのであります。
この響きが脳と股間に伝わりまして、おもわずしゃがみ込みたくなるような快い疼痛をおぼえたのでありました。
人と人との接触は、しかし絶えることはありますまい。
一流企業のエリートさんは貴族階級として、そういう脳と脳の交歓で満足するかもしれませんが、そーでない人たちは、いままでどおり貪りあいお下品な下層階級として、世界は二分されることでございましょう。
リモートセックスに最適なのは、どーいう生年月日なのか。
あたらしい研究分野が誕生しそうでございますです。
Category:
占いのお話 /
Tags: no tag /
2020
05.21
雨のために、奥の庭に発生しているフキを刈り取ることが出来ませんです。
せっかく草取りの道具を関東から持参したのですが、使えぬまま物置の脚立の上に捨てられておりますです。
夕方になれば、老母に食わせる肥料をせっせと作り、そのあとは太平洋戦争あたりの資料をながめては、
「人々の気持ちは、こうやって荒廃していくのか」
とか、そんなふうに時間が流れていくのでございます。
隠遁生活でありましょうか。
戦後のエピソードで目をひいたことがございます。
日本経済が危機に瀕した時、政府は新円を発行し、旧円を預金に封鎖する手を打った、それでございます。
つまり新円と旧円の交換は、全額ではなく、全国民一人当たり百円の制限という規則を作ったらしいのであります。お金持ちも、月収五百円以上は切り取られ、のこりは強制的に預金させられたとか。
全国民の手許金はがた落ち。
こうやって資金の流出を防いだわけでして、賢い連中は、はやいところ何らかの物資に変えていたとか。
当時、失業者の数は五百万人。そこに復員兵や引揚者が加わり、一千三百五十九万人に上ったと資料は語っております。
また人々は英雄を作りたがるものでして、戦前では天皇さんやら軍神であったものが、映画スターだの歌い手だのがジャーナリズムが作り上げていった過程を読むにつけ、
「次はどーなる?」
と推理したり空想したりで、あっというまにモリオカにきて三日間なのでございます。
カンしかございませんです。
考えてどーなるわけでもございません。
カレーを断ち、マックをやめて、ひたすら純な本能に記された文字を読み解くだけしか、方法がないのでございます。
そういう食い物は運をダメにするだけでなく、カンを濁して使い物にさせなくなるのであります。
いわば運の性病。
やはり自然の山菜などを食すことが、はげしく求められるのであります。
気狂いどもが赤い口で、救いを訴えるよーにツツジが咲いておりますです。
もうすこし隠遁生活に泥む予定でございます。
Category:
十傳の日記 /
Tags: no tag /