07.26
同じ道を同じ時間に、同じよーに小高い丘の教会まで歩くのでありました。幼稚園のころには、すでにこのロシア正教会の建物がございましたから、屋根の十字架を眺めているだけなら昔と、そんなに景色は変わりませんです。
田圃だったところにはバイパスがとおり、車関係の販売店が並び、うっそうとした林や、畑は、住宅にかわっておりますです。
教会の扉には、疫病関係の注意書きが貼られております。
ちかくに小学校の同級生の家があったことを思い出し、のぞいてみると、
「佐々木」
と表札が出ていましたから、佐々木君はずっとここにいるのだなと思いました。もっとも本人は死んでいるかもですが。
しばらく教会の下の桜の木の下のベンチに座っておりました。
日本の神社仏閣は苦手でありますが、教会は心を落ち着かせてくれるので好きであります。キリストの誕生から復活までを描いた絵画とか、窓から斜めに差し込んでくるステンドグラスの光とか、木造の長椅子とかはグッとくるのであります。
信者ではありません。聖書には東洋人に対してのひと言も書かれておりません。人間とは見ていないのでありましょう。そこがイイのであります。教会内で冒涜をしても罪悪感どころか、愉悦が勝ることでありましょう。ただ教会というたたずまいがよろしいのであります。
張り紙が目に留まりました。寿司屋の張り紙です。
「しばらくの間、休業いたします」
事実上の店仕舞い。
「ありゃーん」
便意を我慢しつつ、誰も見ていないのにガクッのポーズをとっていました。我ながら古いのであります。
先月の十傳セミナーDが終わったとき、この寿司屋のちらしずしを食べたのであります。
大雑把すぎる盛り付けでありました。
五センチほどのマグロや鯛やハマチなどが無造作にどんぶりに盛られているのであります。
どーやって食ったらいいのか分かりませんでした。
刺身類をすべて別の皿に外しましたから、酷いものでした。
すでに店主は自棄になっていたのでしょう。
感染者ゼロのモリオカにも、下品な中国人がもたらした新型肺炎の影響は出ているのであります。
アーメン。