2020
08.02

気分は夏を超えて秋なのであります。
夏という季節がぽっかりと欠落した気分。

TVでは、さかんに去年の夏祭りや花火の模様を映し出し、
「来年こそは」
締めくくりの声にしておりますが、疫病はよういに鎮まる気配はございませんです。

歴史をひも解くと、人間の、疫病とのたたかいが、そこここに記されておるのでございます。

村が疫病で壊滅したという記録もございますです。

つまり、いつ感染するか分からない疫病にくよくよ怯えていてもラチがあかないのであります。
体内にも、死の遺伝子が備わっていて、老いて、あるいは疲労した時、その死の遺伝子が目覚めて、命の終止符を打つことになるのかもしれません。

この世で、絶対に避けることの出来ないのが、老いであり、死であり、病気であり、衰であり、滅であり……、
「おや、どこかで聞いた話だ」
いかにも、四柱推命で扱っている十二運ではありませんか。

四柱推命には陰陽五行のサイクルとは、また別のエンジンがございます。それが十二運。
一種の転生であります。
養、長生、沐浴、冠帯、建禄、帝旺、衰、病、死、墓、絶、胎。
この世に生まれ、成長し、一時的にグレて、いやいやそれではいけないと立ち直り成人し、働き、一応の地位を得る。これが最高だと感じたら、衰退がはじまり、どーもチンポコが元気なくなる。そのうちに病気を得て、死んで、墓に入り、骨も腐って地に帰る。と、ふたたび母の胎内で命の鼓動を始めるという、イノチの宿命が十二運によって語られるのであります。

「つまりは、そーいうことなのであります」

避けらぬ宿命を、あれこれ悩んでもはじまりませんです。無駄なことであります。
白髪をそめても染めても白髪は増えるばかり。たるんだお尻は元には戻りませぬ。

終わってしまったことや、周囲の雑音や、また来るべき明日も、また過去のものになるわけでして、「あっ、いまだ」と思った今も、次の今は過去。

せめて楽しい過去になる今を迎えるために四柱推命のサインを読み取り、快楽にどっぷりと浸かることが、死へとむって日々を過ごすしやわせではないか。
では、快楽とはなにか。
料理とSEXのふたつが筆頭に挙げられますです。
「美味しいね」と「気持ちいいよ」の評価を得る、この世に三つとない無償の行為。

シューベルトを聴きながら、八月二日の23時22分…もうそれも過去だ。