08.03
いろいろなことがあり、すっかり忘れていましたが、いまは夏で、空を仰ぐと、夏の花が光の束にそよいでいるのでありました。
身の回りに疫病の感染者はおらず…なのに人々は厳重にマスクで口を覆いソーシャル・ディスタンシングをしております。
今日は午後の早い時間、散歩をいたしました。
そこで、はじめて夏の花を見上げたというわけです。
キャベツ300円。
ネギ200円
レタス290円。
それら買い物をナップサックに詰めまして、骨伝導のイヤフォーンでボサノバを聞きながら、目的もなく自転車のペタルをこいだのでございます。
マイクロバスが、園児の母親の待つ道路端に停車し、郵便屋のバイクが、その脇を巧みに追い抜き、本屋の親父は店先の植物に水やりをしておりました。
空はかくまで青く澄み、かすかに潮の香りがまだらに漂ってくるのでございました。
こんな静かな八月ははじめてかもしれません。
お盆と正月の無人の都心のよーでありました。
仕事は残っております。
でも、急ぐことはございません。まだ八月。ゆっくりと進めればいいのでありますから。
音楽をとめると、懸命の蝉時雨が洪水のよーに、私メを押し包むのでございます。
「今日はサイの命日だったな」
最後の友人が死んでから五年ほどたちます。
膵臓癌が発見されたのはその年の2月。
「手を尽くさないと…」
私メの言葉に、
「んだよな」
と答えたのに、何の手も尽くさず、最後には車椅子の世話になり、まっくろになって死んでいったのであります。
サイが倒産させてしまった何代かつづいた老舗を、彼の息子が再建したのは二年後。
自分の死亡保険をつかって、
「もういちど再建してほしい」
サイが言い残した事実を知ったのは、つい最近の事でありました。
夏の陽光は地面に自転車の影を黒くおとし、なお光り、道端の砂利石までを宝石のよーにキラめかせているのでありました。