2020
08.30

雨が降りましたら、気温がいっきに下がり、すると味噌ラーメンなのであります。

食いたくて探したのではございません。
地物の面白い野菜などが欲しくて、外堀を兼ねた北上川向こうの、小鷹刑場跡地付近にあるスーパーマーケットに車を走らせましたら、いっかくに、
「さっこら食堂」
なるものがございまして、気になったのでありました。

お金を払うと、18番とかの楕円のプラスチック製の券をわたされ、ほどなく、
「18番のかた~」
と、コロナ防止のビニールの中から叫ばれまして、ごらんの味噌ラーメンをセルフで、自分のテーブルに運んだのであります。

とてもとても、お勧めはできません。

が、私メにとっては、
「ああ~」
反射的に悶えるお味だったのであります。
50年前の味。味噌ラーメンの原点ともいえる下品なお味がほっぺたの裏側の皮膚を震わせたのであります。

眼を閉じると、オートバイの免許を取りに、一本木の試験場にバスで行った忘れ去っていた思い出がよみがえるのであります。
17歳でございました。
当時は二輪免許は自動車学校などに行かず、本番一発勝負でございました。
たしか他校の仲間四五人と一緒でありました。

午前中に学科があり、それに合格すると、午後の実地試験が待ち構えているのでありました。

私メは運よく学科をパスし、運悪く落ちた仲間と、試験場の向かいのシケたラーメン屋で味噌ラーメンをすすったのでありました。
そのお味なのであります。

野菜というか、これでもかというほどニラとかキャベツとかがぶち込まれ、土臭いキャベツの芯まで平気で入っていて、そこに味噌が落とされている原始的な味噌ラーメンなのであります。

ごらんのとおり、「さっこら食堂」には孤独な老婆が…いやいや、もしかすると私メと同い年かもしれませんです。

「まさか」
懐かしいお味に、つい涙ぐんでしまっているかと思いましたが、汗でありました。
丼の底に残った挽肉の粒々をつまみ、最後の一滴まで飲み干しました。

後ろの席では、次の首相は誰だ、岸田と石破だけは嫌だとかいう声が聞こえておりました。
東京では37度で生きていられない-ほど暑いと向こうに住んでいる娘が電話をよこしたという話も。

水を何杯も飲みましたです。

試験場で実地に残ったのは私メを含めて七名で、合格したのが二名。またまた運よく、その二名に私メが入っておりましたです。

落ちた仲間は不貞腐れて、すでに帰ってしまってまして、私メ一人でバス停で夏草を眺めておりました。

でも嬉しくて、また味噌ラーメンを食おうとしたのですが、すでに店仕舞い。
盛岡バスセンターまでのバスは揺れて、すこし車酔いしました。ゲップをしたら味噌ラーメンの臭いがしたのでした。

「そうだ。掃除機を買って帰ろう」
立ち上がったのでございます。